はじめに
塩野七生は、私が昔から注目してきた作家でした。たしか最初に読みました
のが「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」でした。その後数々の作
品を読んできましたが、私はいつも「この人の書いているのは、歴史なのかな
小説なのかな?」と考えていたものです。また大学の親しい西洋史の先生(古
典古代が専門の方でした)にも聞いたものでした。その先生も「さて、どちら
と言えるのかな?」という返事でした。
ずっと読んできたのですが、やはり圧巻は1992年から15年かけて書い
ていくという「ローマ人の歴史」の刊行でしょうか。
私には、古代ギリシアに関しては、かなり親近観もあり、かつ好きでしたが、
ローマに関しては、どうにもなじめない思いがしていたものです。
私はローマというと、不倫と近親相姦の図が浮かんできてしまうのです。そ
して、なんとかローマを改革しようとする正義の人は、いつもローマ風呂で手
首を切り自殺せざるを得ません。そのローマ風呂のお湯に次第に染み渡る赤い
血が、ローマをのもののような気がしていました。
でもこれは、私は、タキトゥスのおかげだと判りました。彼の「年代記」を
読みますと、そうしたことばかりがローマの歴史のような気になってしまいま
す。そして私はタキトゥスこそが偉大なる歴史家だと思い込んでいるところが
ありました。
そんな私には、塩野さんの「ローマ人の歴史」は、もう天地が一変するくら
いの衝撃を与えてくれたものです。そして私は「そうだな、これこそがローマ
の本当の姿なんだろうな」と思わせてくれたのです。
私も小学生のときに「プルターク英雄伝」を読んだときから、ユリウス・カ
エサルが好きでした。そのカエサルが私の中でも今も生き生きと活躍していま
す。私はいつもこんなシーンを夢想するのです。
ローマ人より背が頭高い金髪のゲルマン人たちが、叫び声をあげてロー
マ人たちに襲いかかります。だがローマ人たちは、方陣を組んで絶対に崩
れない。方陣の一番外側にいる兵士がゲルマン人の投げ槍で倒れると、次
の兵士がそこを埋めて並んでいく。百人隊長が声をからしている。
ローマの誇りを忘れるな。我々が勝利するのだ!
兵士たちは、朝食をまだ摂っていないときに襲ってきたゲルマン人にた
いして、非常に怒っている。できたらすぐにでも立ち上がってゲルマンの
軍団に向かって行きたい気持に誰もがなっている。でもそれは命令があっ
てからだ。
各方陣の間を予備隊を率いた指揮官が馬で走りながら、各方陣を励まし
ている。その指揮官が叫んでいる。
ローマ人たることを忘れるな。俺たちこそがローマを作るのだ。ロー
マこそ、我々が作る永遠の秩序なのだ。我々が永遠のローマを作るのだ。
この指揮官こそが、もうすぐ50歳になろうというユリウス・カエサル
です。
こんな爽やかなローマのカエサル像を、私に与えてくれたのは、この塩野七
生さんなのです。 (2003.08.04)
私は、自分で書いた上の文を読んで涙を浮かべてしまいました。この私が想
像するローマ兵と指揮官のカエサルの姿と言葉に涙してしまうのです。
塩野七生さんは、初代ローマ皇帝になったオクタヴィアヌスのことも魅力的
に書いています。初老になっても美しい顔をしたアウグストゥスです。でもやっ
ぱり、塩野さんもユリウス・カエサルにこそ惚れています。それがなんだかよ
く判ってしまう気がするのです。
そうですね、塩野さんの好きなチェーザレ・ボルジアもまた私も惹かれてし
まいます。塩野さんは、マキャベリも好きなんでしょうね。私もマキャベリを
知った中学生のときから好きになりました。「君主論」「政略論」「戦術論」、
みな私は大好きです。
塩野さんの思いは、私の中学生の頃の思いと同じです。そして彼女はそれを、
そのまま書いていきました。私はただただ無駄に年取っただけですが。
ただ、「ローマ人の歴史」はずっと読んでいるのですが、私は最初の3巻ま
で自分の思いを書いているだけで、そのあとはやっていません。これは怠慢な
自分を責めなければいけないところです。
今後また書いてまいります。 (2006.10.24)
|