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書名 ゼロクーポンを買い戻せ 著者 ポール・アードマン 訳者 森英明 発行所 新潮文庫 定価 680円 1994年6月1日発行 これはどういう種類の小説といったらいいのでしょうか。現代アメリカの金 融サスペンスとでもいえばいいのでしょうが、我が日本には同じような作品を 見たことはありません。ただ読み始めるや、あっという間に最後のページまで に至ってしまったという感じでした。どうしてか主人公の数々の動きに身を入 れてしまうのです。 主人公ウィリアム・サクソンは80年代末期に株価の不正操作ということで、 6年の刑をいいわたされ、冒頭のシーンは、その刑務所から3年め(減刑され た)に出所してくるところから始まります。いわばバルフ最盛期のときには天 才的な金融コンサルタントとして活躍していた彼は、バブルの崩壊期には投獄 されていたわけです。しかしその中にいる間、彼はまったく違うことを学んで います。もう出獄しても、同じ仕事には法的につくことができませんから、彼 はなんらかの方法を講じていかなければ生きていけないのです。もうおとなし くひっそり生きていくのか、それとも、もう一度人生に勝負をかけるのかといっ た瀬戸際です。彼はもう私と同じ46歳です。 私が思うのには、この40代に3年も(しかも刑は本来6年だった、結果と して3年になっただけ)投獄されていると、かなり人生に消耗感をもつだろう なと思います。この日本だったら、刑務所の中でせいぜい宗教書ならびに日本 の古典を読破でもして、その面では俺は充実したなと思い込むことくらいしか できないでしょう。だが、この主人公はその刑務所の中で、新しい図書館を作 り、そこでさまざまなことを学んできます。やってくる友人たちの面会をすべ て断ってしまうほど、何かを必死に学んでいたのです。出獄したら、その知識 をフルに活かして動き始めようというのです。こんな主人公に、私はどうして も身を入れてしまうのです。「頑張れ、負けるな負けるな」と。 彼は規制と監視だらけになってしまった金融界で、いわば新しい「情報」収 集操作といったようなものでやっていこうとします。作品の中では、現実のアッ プル社やマイクロソフト社の名前が出てきます。そうした世界で活躍している のは、主人公よりはるかに若い、そしてかなり違う人生観をもった若者たちな のです。この主人公はいわば、これら若い世代の生き方働き方、価値観を認め ています。これらの若い世代と、現代未来のコンピュータシステムと、自分の 経験、人脈等々を活用することにより、きっと路は開けると思っています。 そして彼が考え出したのが、題名にもなっているゼロクーポンなのです。こ れの説明を見てみましょう。 定期的な利子の支払いがないかわりに、発行時に額面を大幅に割り引い た価格で売り出される割引債券のことであるが、米国では、償還期限25 年以上の長期のものをゼロクーポン債と呼んでいる。たとえば額面が100 ドルの債券を50ドルで売り出し、償還時に額面金額を払い戻せば、最終 的には100パーセントの利息がついたことになる。定期的な利払いが行 われる利付債(クーポン債)には、利子受け取りの際の引替券となる利札 (クーポン)が本券についているが、この種の債券にはクーポンがついて いないことからゼロクーポン債と呼ばれる。 このゼロクーポン債の発行を彼は考えていきます。ある確実な地方自治体発 行の債券です。これで彼は資金を得ます。ただし、彼のやるこの債券の発行売 買はいわば詐欺、有価証券偽造行為なのです。でも何故か私は彼のやることを 責める気になれません。むしろなんだかうまく行ってほしいななんてはらはら してしまいます。彼はどうせばれるとしても、それはいわば自分たちの人生の 25年後のことで、70代の年寄を長期投獄するなんてないだろうと仲間に説 明したりします。しかしとにかく、この方法も、それ以外のやり方でも、痛快 なほどうまく行って、ではもう言わば犯罪である「ゼロークーポン」は買い戻 して、犯罪のあとを消してしまおうというのです。 なんにしても痛快なマネーゲームといえるでしょうか。そしてその中で、い わば日本の地方にあるソフトハウスのようなパソコン操作部隊を組織して、さ まざまな金融情報を手に入れていきます。このところは、マイクロソフトが本 気で夢見たことなのかなと思える話もまじえて、たいへんに興味深く面白く読 んでいけます。ただし、若い新しい世代で郊外にパソコン部隊を作るところな どはいいのですが、そこで使っているパソコン機器や転送電話システムの話な んかになると、ちょっとばかり著者の情報は古いんじゃないなんて思ってしま います。パソコンよりも、携帯電話をフルに使ってさまざまに仕事をこなして いくところなんか、臨場感があるのですが、私には、「もうこんな姿は、この 日本だって2年前くらいからある場面だよ」と思ってしまいました。せめて、 ハイウェイを走る車の中で、パソコンでインターネットに接続して情報を得て、 「携帯電話って、こうも使うのか」というシーンでも入れてほしかったもので す。 ただ、私が勘違いしてしまったところもあります。 リバー・ランチの買い取りをチャンネル諸島の会社を通じて行い、これ をプレスコット・アンド・クァッケンブッシュの資本傘下に置く。一方、 プレスコット・アンド・クァッケンブッシュをリヒテンシュタインとスイ スからコントロールさせる。これがウィリーの考えている段取りである。 ウィリーは、不動産購入申し入れの文言を新しいマッキントッシュで作成 すると、それをプリントアウトしてロンドンの事務弁護士のもとにファッ クスで送り、これを建築家ジャック・ワーネカのもとに月曜日までにファッ クスするように指示した。 ここを読んで私は、「なんだ、この著者はFAXモデムって知らないのかな」 と一瞬思ってしまいました。なんだか、ジコジコとプリントアウトしているの が「ださいな」なんて思ったのです。しかしその一瞬後、気が付きました。こ れはそうじゃないんですね。アメリカは契約社会であり、日本のように印鑑を 使うわけではないから、このファックスの文には、主人公ウィリーの自筆のサ インを入れれば、それで正式文書として通ってしまうのですね。私も仕事上で、 米国との契約関係のこと思い出しました。なんとなくやっぱり私は印鑑使う方 が、安心してしまいますね。 ともかく大変に痛快な小説です。主人公の回りの人物が40代後半なのも実 にいいのです。そんな世代のロマンス含めた活躍に、なんにしろ嬉しくなって きました。 それと日本の作家でもこうした作品を書いてほしいものです。私たちには、 もっと臨場感のある面白い場面が考えられると思うんですがね。稲垣武「『悪魔祓い』の戦後史」
私が柏市民ネットというパソコン通信の会議室にて友人から薦められた本で す。その薦めてくれた友人がその薦める文の中で書かれていた戦後知識人の名 前で、私の知っている限りを書いてUPしたのが第1部で、本そのものを読ん でから書いたのが第2部としました。ちょうど1994年の11月に書いたも のです。また今ならいろいろつけ足したいところもありますが、その当時のま まUPします。 (第1部) あげられている「知識人」とやらの名前を見ると、とにかく私の嫌いなやつ らばかりだなと思いました。分かる限り、すこし書いてみましょうか。 大内兵衛 おもえば岩波文庫の「共産党宣言」を向坂逸郎と一緒に訳していま したね。「空想より科学へ」も彼の訳だ。東大闘争はこうした大内と か向坂のいうことを一番の敵として闘ったものだと私は思っています。 一番腹がたつのは、彼が東大安田講堂の攻防戦をテレビでみていて、 「これはいいな、いいな」と思って、弾圧側の本富士警察署にケーキ を届けようとまで思ったと堂々と言っていることです。こんな奴は絶 対に許すわけにはいかない。そういえば息子の大内力もどうしようも ない奴ですね。 桑原武夫 進歩派というより私には保守派の方だと思ってきた。大昔「期待さ れる人間像」なんていう馬鹿げたことの論者だったように記憶してい る。ただスタンダールの翻訳で私はいくつも世話になった気がしてい る。漢詩の解説なんかもやっているが、これはあまり感心しない。吉 川幸次郎に合わせすぎなんじゃないの。どうも京都の学者というのは なんか嫌だね。 小田実 この男はまったくどうしようもなく犯罪的なやつだと思っている。 ベ平連をどう総括するのだ。結局ソ連から金もらって、ソ連圏側に有 利にしようとしていただけではないのか。ベトナム反戦運動の中にも、 「ベトナム戦争反対」という言い方と「ベトナム革命戦争勝利!」と いう言い方があった。思えば、両方とも間違っていたわけだが、まだ 後者(これはブント系が言っていた)の方が正直だ。「戦争に反対」 などと言って、その実北ベトナム−ソ連に肩入れしていたのが、かの ベ平連の運動だ。そしていまもまた、彼は同じ動きをしている。今は どこから金をもらっているのかな。 本多勝一 この男のことは前にも書いてきた。例えば人は、誰かに殺されると きに、そのそばで自分が殺されるところを詳細に撮影している人間が いたとしたら、その人は、自分を殺す人間と、それをカメラで撮影し ている人間とどちらがより憎いだろうか。私なら当然カメラで撮影し ている人間を憎む。私を殺そうとしている人間には必然があるのかも しれない。例えば、ベトナム戦争のときに米軍にも解放戦線にも、南 ベトナム政府軍にも、北ベトナム軍にも、相手を殺そうという動機と 必然はあった。だが、本多のような奴にすぐそばで撮影描写される必 然はないのだ。これだけでこの本多のことはたくさんだろう。ああ、 それから「週刊金曜日」とかなんとか、ひでえものだね。 都留重人 この人はリベラルな進歩派経済学者というような気がしている。 家永三郎 教科書訴訟のときになんだかがっかりした思いがある。よくよく考 えてくださいよ、なんで訴訟になったのですか………結局彼自身が妥 協したからじゃないのですか。もっとも私は彼の「太平洋戦争」は高 校生のころ、かなりいろいろと参考になったなとは思っています。 長州一二 この人がいわば「構改派」の典型的経済学者だと思います。構改派 といえば日本共産党の中で、イタリア共産党のトリアッチ−グラムシ に狂ってしまった人が言い出してきたわけですが、当然社会党にも出 てきたわけで、そうした代表的学者だったと思います。大昔埼大の歴 史研究会にこの長洲に傾倒してしまっていた同級生がいて、どうにも いろいろといいあったりしたものでした。今会ってそのことでからか うといつも頭掻いていますがね。神奈川県知事になってしまったとき には、さすがに驚きましたが、なんだか彼の理論の実践をやっている 気かななんて思うところもありますね。 和田春樹 ソ連や東欧の問題というと、この人だけはいまでも平気な顔してテ レビ等にしゃしゃり出てきますね。私はこの人がいうことと反対のこ とを思い浮かべれば多分間違いないだろうと思っています。 石橋政嗣 なんとなく一見真面目でまったく無能な社会党の委員長という感じ でした。無能なことが犯罪的なのかな。どうでもいい人ですね。 加藤周一 この人のことは、なんだか好きになれないなという印象しかない。 どういう言動がなのだろうと考えても思い出せない。 菊地昌典 大学1年(1967年)のときに、この人が書いた「ロシア革命」 (中公新書)を買って読んだ。なかなか感動したものだったが、その 後すぐに彼は、この本を絶版にしてしまった。なんでも誰かに何かを 指摘されたらしい。その内容に関しては、今もこの本を読んでも分か らない。何が問題なのだろうか。ところで彼は全共闘シンパの東大教 授(当時は助教授かな)ということになっていた。しかし、私は彼が 東大全共闘に批判され、むりやり自己批判され(自己批判し)、デモ の先頭にスクラムを組まされてデモしていたのを思い出す。なんで人 がいいんだ、なんて質が悪いんだと思ったものだ。吉本(吉本隆明) さんのいうように、「知には知で、暴力には暴力で」対決していたら、 あらかた済んでしまったようなものだったのに。 坂本義和 たしか東大闘争のときの法学部の教授だと覚えている。こういう人 が日本の講壇民主主義者、講壇マルクス主義者なのね。君たちの導入 した機動隊によって、放水ずけになり、催涙弾に狙い撃ちされた私な んか、いつまでも忘れないのよ。オトシマエには時効はありません。 西川潤 進歩的な経済学者かなという印象しかない。だいたいに翻訳本の訳 者としてしか知らないものね。 槙枝元文 この人は実際の中学校や小学校の教壇に立ったことがあるのだろう か。もちろん1回や2回はあるのかもしれない。どうせ今社会党政権 なのだから、そのうちにこの人を文部大臣にしたらいいのになあ。そ うするとなんだか一貫していますよ。それなら誤謬から誤謬へ一貫し ていますよ。 吉川勇一 この人もベ平連ですね。ただとにかくまともに総括してください。 それだけです。 井上清 このおっさんは講座派の典型的な歴史学者ですね。それが毛沢東に いかれてしまって、日共と喧嘩して、どうしてか私たち三派全共闘の ほうへ顔を向けるようになってしまった。迷惑なんだよな。まあ、い ろいろな歴史の本は、参考にはしていますよ。 岩井章 あんまり知らない。どうせ悪い人でしょう。 いいだもも この人を構改派と攻撃する気にはなれない。私は「どうせ日本の 声でしょう」と言ってしまう。だから「共労党って、日本の声でしょ う」。日本の声にも右派と左派があって、このいいだが左派で共産 主義労働者党になるのだが、結局はさ、日本の声じゃないのよ。あ と、ときどき見かける文章もひとつもよくありません。性格の悪さ がにじみでてます。小説も書いているのね。ただの阿呆ですよ。 羽仁五郎 ついに出ました羽仁五郎という感じですね。いいとき死んだね。ま あ、学者というより、芸能人でしたね。しかし、私のこの人のアジの 内容の展開の仕方なんかは学んだ気がします。でもとにかく随分でた らめなことをそれこそいっぱい言って死んじゃったものですね。私は 大学2年の秋たしか10月頃に、この人の横須賀の自宅へ行ったこと あります。右翼の襲撃を恐れてか、厳重な家でしたね。でもやっぱり もうこの人は駄目な人でした、駄目というより、かなりな犯罪性だっ たと思っています。この人の批判はまたいつか書きたいなと思ってい ます。 また一気に思うまま書いてしまいました。この紹介された本を読めば、もっ といろいろな顔が見えてくるんでしょう。私の勘違いも、明確にただされるこ とでしょう。
(第2部)
書名 「悪魔祓い」の戦後史
進歩的文化人の言論と責任
著者 稲垣 武
発行所 文藝春秋
定価 2,000円
1994年8月15日第一刷
ISBN4-16-349170-8
とにかく読みごたえのある内容です。そして最初から最後まで飽かず一気に
読み切りました。ちょっと目次をあげてみましょう。
第一章 「ソ連」に憑かれた人々
第二章 「シベリア抑留」擁護論の系譜
第三章 「全面講和論」の魑魅魍魎
第四章 六〇年安保への序曲
第五章 「非武装中立」の妄想
第六章 観念的平和論の末路
第七章 ソ連信仰の変容
第八章 毛沢東の魔術
第九章 文革礼賛の終焉
第一〇章 すばらしき北朝鮮
第一一章 首領サマの経済論争
第一二章 テロ国家の弁護人
第一三章 「金賢姫」を否定した人々
第一四章 ヴェトナム戦争───錯誤の原点
第一五章 従軍ジャーナリストの玉石
第一六章 ベ平連の自家撞着
第一七章 ヴェトナム反戦の日米共辰
第一八章 パリ和平会議の裏切り
第一九章 ヴェトナム解放神話の崩壊
第二〇章 ヴェトナム難民を嗤った人々
第二一章 中越戦争勃発に惑乱する文化人
第二二章 教科書を蝕む「革命史観」
第二三章 家永裁判とは何だったのか
第二四章 全共闘に唱和した大学教授
文藝春秋の「諸君」に長期連載されていたものに加筆したものです。戦後日
本のいわゆる進歩的知識人や各マスコミの数々の妄言を検証批判しています。
九一年末のソ連崩壊で、戦後長らく論壇を支配していた進歩的文化人も、
遂に引導を渡され、ソ連の道連となって歴史の舞台から退場した。しかし
この検証と論考は、いまさら彼等の言説の非や錯誤をあげつらうのが目的
ではない。彼等の現実の推移から遊離した思考がどこから由来し、どこに
その歪みの原因があるのかを追及しようと試みたものである。
………………………………
もちろん、進歩的文化人らの過去の言説に対する批判が、単なる「歴史
の後知恵」であっては無意味だろう。そこで私はできるだけ、その言説が
なされた時点でもこれこれのデータや情報が入手可能だったにも拘らず、
彼等の言説がなぜ錯誤し歪められたかという考察をしたつもりである。そ
れが過去を批判する者の義務であろう。(「はしがき」)
この姿勢で実に丁寧に資料を正確にさぐりあて、彼等進歩的知識人の誤謬と
犯罪性を明らかにしています。ここまで自らに言説を検証されてしまっては、
彼等はどう反論できるのかなと興味深いのですが、多分間違いなく彼等はすべ
て何もなかったかのようにこの著者のこの論考については抹殺した姿勢をとる
でしょう。それがいわば、彼等の最後まで一貫した破廉恥性と犯罪性なのだと
思います。
人は誰でも過ちを犯してしまうものでしょう。たとえその時点で、もっとあ
たりまえの情報を得ていながらも、どうしてか間違いを述べてしまうこともあ
るのかもしれない。だがもしそうならば、あとで反省していただきたいのです。
例えば、この著書でも4度とりあげられている元早稲田大学教授新島淳良で
すが、彼は当初は愛国心教育を熱心に唱えていた(愛国心とは反米愛国のこと、
当時は彼は日本共産党員であり、その後すぐに中国派になる)。そして文化大
革命の礼賛者になっていた。だが毛沢東に失望したのか、72年末に早大をや
め、突如としてヤマギシ会に入ってしまった。現在もヤマギシズムを信奉して
いるのかどうか知らないが、今は過去の自分が文革や中共を礼賛していたこと
を充分反省して論文を書いているように私には思える。彼のやったことは忘れ
てならない犯罪的なことだったかもしれないが、あのように今反省している(
反省しているように私には思える)のなら、私は他の破廉恥な幾多の知識人よ
りはましなように思えるのです。
私は新島がまだ中国派ML派のころでも、彼の「魯迅」の講義だけは好きだっ
たから早稲田の授業にもぐり込んで聞いていました。それから実は、直接会っ
て話したこともあります。私は彼が話したがる「入管」の問題とか「民族差別」
の問題などよりも、より魯迅の話ばかり聞くようにしたものでした。それが又
随分年月がたって、大阪のある街を歩いていたときに、ヤマギシ会の宣伝カー
の上で演説している彼を見ました。なんだか悲しくなりましたが、毛沢東より
はまだヤマギシ会の鶏飼っているほうがましかななんて思ったものです。
しかし私が読んだ限りでは、この著作で扱われている知識人のうち、新島以
外ではまずまともに自らの言説を反省表明している人間は皆無だと思われます。
私にとっては、この著書で扱われている進歩的知識人は、ほぼ私がもともと
「こいつは嫌などうしようもない、いわば俺たちの敵だな」という連中ばかり
なのですが、それの大きな確認になりました。また各マスコミ人、例えば雑誌
「世界」などの編集者の名前などまでは知りませんでしたから、おおいにいろ
いろと参考になりました。
ただ私は学生のときから、三派系全共闘系過激派でしたから、せいぜい「朝
日ジャーナル」を何度か買ったくらいで、「世界」だのというのは手にしたこ
ともありません。あんな雑誌はとにかく私たちの敵が執筆している雑誌だとば
かり思い込んでいたものです。ここらのところが、この著者と私たちとには感
じ方に少し差があることかもしれないと思うところです。
例えば、私にとって丸山真男は、「日本の思想」「現代政治の思想と行動」
「日本政治思想史研究」といういわば3部作があるわけですが、「日本の思想」
を読んだときの衝撃はさておき、「現代政治の思想と行動」では、もはやこの
人は私たちとは無関係な人だとすぐに思ったものでした。だから、東大闘争で
の彼の言説なんか当然の敵としての言い分でしかありません。でも私たちより
上の年代だと丸山というのは違う存在なのかもしれません。
この著書ではほとんどうなずいて読んでいるところばかりだったのですが、
唯一「違うよ、何言っているんだ」というところが、「第二四章 全共闘に唱
和した大学教授」のところです。このことだけは述べておきたいと思います。
ここで扱われている知識人は、和田春樹、折原浩、菊地昌典(三人とも東大
の全共闘支持派の教授、助教授)、その他小田実、羽仁五郎、丸山真男(彼は
M教授となっていて、全共闘の支持派とは書いてはいない、あたりまえだよ)
等々です。だが言っておきたいのですが、私たちは彼等に支持されたからあの
闘いをやったわけでもなく、また彼等のいうことをあの当時もいいと思ったこ
とはありません。私たちのやっていたことを彼等がどう解釈しようと、それは
私たちの知ったことではありません。
ただ私はこの著者にいいたいのは、せっかくほかのところであれだけ真摯に
詳細に資料にあたるのなら、私たちの闘いのことでも同じ姿勢でやらないと、
恰好つかないんじゃないのということです。
以前私が、佐々淳行「東大落城」で紹介した内容をそのまま信じてしまって
いるところがあります。私も佐々のこの文はけっして嫌いではありません。だ
が平気で嘘を書いています。そこを見抜けないものなのですね。
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書名 東大落城
著者 佐々淳行
発行所 文芸春秋
定価 1,400円
1993年1月25日第一刷
ISBN4-16-347140-5
ただこの本は、私たちを攻撃してきた側の人間が書いているわけですが、そ
れほど読んでいて不愉快にもなりません。でも事実は書いておいたほうがいい
でしょう。いくつも書く気にはなりませんが。ガス銃の水平撃ちに関してです。
照準器も施錠もない滑腔・先込め催涙ガス銃では、当てようと思っても
当たるものではない。何千発と発射されたうちの一発がたまたま顔に当たっ
たもので、
よくまあ、こんな嘘が書けるものだ。私は屋上で何発か身体にくらっている。
最後に逮捕されるときには、目の前1メートルくらいのところから発射した機
動隊がいた。ちょうど私の隣にいた学生の右手にあたった。彼とは同じ留置場
だったが、中指の骨がつながってなかったといっていた。
(以上は私の書評の一部です。)
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それから、著者の以下のくだりにはかなりな怒りを覚えました。
最大のジョークは六八年一一月末、緊迫した東大構内に来てキャラメル
を占拠学生に配って歩いた、東大生の母親という「キャラメル・ママ」の
出現だろう。
(中略)
父性的な厳しさが全く欠落したマミー文化にどっぷり浸かって育った子ど
もは、ゲバ棒を握っても心のどこかに自分が破壊しようとした社会に対す
る甘えがある。そこには大人が持つべき自己責任の観念はない。考えてみ
れば、他者に対する過度な攻撃性と過度の自己愛は幼児性の表象だから、
キャラメル・ママこそ、その場にふさわしかったのかもしれない。
何を言っているの、冗談じゃないというところです。本来なら私たちについ
ての世代論から展開したい(これは私がよくやっているのですが)ところです
が、ここでは別なことを言っておきたいと思いました。
私の母から私が東大闘争で保釈になってから聞いたことなのです。新聞に私
の母たちが「息子の長期拘留は不当だ」と訴えにいったことに対して、
キャラメル・ママ転じて息子を帰せとの母になる(実は私はうろ覚えで
す)
と揶揄されたことにたいして非常に怒っていたのです。さも子どもを甘やかし、
暴れて捕まると、早く釈放せよと無理をいう母親像というように書かれたらし
いのです。私たちの母親と父親たちは、私たちの東大闘争被告団の統一公判の
要求と、私たちの身柄の即時釈放を要求に裁判所に行ったのです。裁判所はそ
の要求に逃げるばかりでまともに答えようとはしなかったのです。母も父も私
の担当の裁判官に何度か会ってそれらのことを強く要求していますが、私の担
当の小野裁判官は「もう帰らなくちゃ」と走って逃げるばかりだったのです。
私は大学生になって母から味噌醤油のたぐいはもらったことはありますが、キャ
ラメルは一度もありません。キャラメル・ママなんて単なる馬鹿じゃないので
すか。私たちの母親とは関係ありません。
このとこくらいが違和感をもっただけで、あとはけっこういい感じで読んで
いけた本です。あとひとついうとすると、吉本(吉本隆明)さんのことをひと
つくらいけなしているかなと思ったのですが、ただの一つもありません。これ
はさすが、この著者もよく吉本さんを読み込んでいるなと思わせたところです。
私たちの三派全共闘の時代のアジビラやタテカンに書かれている表現は、実に
吉本さんからの引用した字句が多かったのです。実にあの時代の情況を表すの
にぴったりだったのです。だが、吉本さんは私たちの運動を支持したり、煽動
したりしたことは一度もありませんでした。いや逆に、堂々と「昼寝のすすめ」
をしたり、羽田闘争に対しては「無知が栄えた例(ためし)はない」といった
りしたほうです。今になっても、私たちの学園闘争を、学園紛争としてしか呼
んでくれません(私はこれだけは闘争と呼んでほしいんだけどな)。でもそう
した吉本さんを全共闘の支持知識人としてしか理解していない阿呆どもはたく
さんいるわけですが、さすがこの著者はよく分かっているようです。
これは一番よかったなと思ったところでした。

更新日:2004年09月07日