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あるときに、電車の中吊で、二人の美しい女性の顔写真を見ました。雑誌の 表紙です。「誰だろう? ……… ひとりは若山セツ子だな。もうひとりは私じゃ わからないな」などと思い、その雑誌を手にとり購入しました。 特集名 戦後が似合う映画女優 掲載誌 ノーサイド1994年10月号 発行所 文藝春秋 定価 560円 生まれた年でいうと、明治42年生まれの田中絹代から昭和24年生まれの 二木てるみまで日本の168人の映画女優が取り上げられています。ちなみに 表紙に載っている二人の絵解きには以下のように書いてあります。 可憐な笑みを浮かべる乙女二人、左が桂木洋子、右が若山セツ子。今か ら43年前の成瀬巳喜男監督作品「薔薇合戦」(昭和25年、松竹ビデオ) のスチールの一枚である。その後、一人は作曲家と結婚して、引退。もう 一人は、映画監督と離婚した後、昭和60年5月9日に自らの命を絶った。 そんな歳月もなかったように、二人は「戦後」という時代の中で輝いてい る。 ちなみに桂木洋子が結婚した作曲家は黛敏郎です。 私にはときどき、私も生きてきた「戦後」というのがたまらなく嫌になるこ とがあります。もはやその時代を変えることはできないのであり、私はもうど うすることもできないし、ましてそこから逃れられないわけです。若山セツ子 が自殺したのは、離婚のことや仕事上の悩みもあったのかもしれません。でも 私にはやはりそこにも「戦後」という大きな犯人とでもいうべきものが存在す るようにも思ってしまうのです。だからそんな嫌になってしまう戦後であって も、ただただひたすら日々同じ繰返しに耐えられるよう生きてきた我が父母の ように、私も生きてきたと思っています。 そんな戦後の中で、日本映画はかなりな戦後の日本の軌跡をよく看取ること ができるもののように思います。その映画の中で、映画内容や監督ではなく、 この特集は女優に焦点を当てています。ひとりひとりの写真とエピソードを見 ていくと、いろいろなことがよみがえってきます。見た映画の内容も思い出し ますが、その頃の時代をやっぱり思い浮かべてしまうのです。 私が好きな女優といったら、原節子、高峰秀子、桜町弘子でしょうか。3人 とも、出演した映画はよく覚えています。原節子は「我が青春に悔いなし」、 高峰秀子は、「二十四の瞳」、桜町弘子は「骨までしゃぶる」がそれぞれ一番 好きな映画でしょうか。 桜町弘子は、やくざ映画の最高傑作という山下耕作「総長賭博」の艶子さん 役は、あんまり感心しないのです。私は加藤泰の「骨までしゃぶる」や「車夫 游侠伝・喧嘩辰」での、明るい彼女が大好きです。彼女の映画といったら、文 藝座地下の深夜興行での雰囲気を思い出しますし、原節子は銀座並木座、「二 十四の瞳」は学校で見せられたのを思い出します。それぞれに、ぞれぞれの時 の自分の情況を思い出してしまいます。 私はけっこう私より年代の上の方の集まる飲み屋によく行きます。またゴー ルデン街でとんでもなく映画に詳しい人とよく話します。そんなときに、よく こうしたたくさんの女優の話をします。近江俊郎に似た流しの人に、久慈あさ みと近江俊郎との映画でのキスシーンの話でからかったりしています。その久 慈あさみがテレビにぼけ老人の役で出てきたりして、それこそ驚いていまいま す。そんな話をいろいろとしていると、やつぱり「戦後」が浮びあがってきま す。私にとっても、誰にとっても「戦後」というのは、けっこうつらく大変な 存在だったなといつも思うのです。 だがそんな「戦後」はいつの間にか、終ってしまった、無くなってしまった ように思えます。それがいつのことなのか、私はいつも考えるのですが、よく 判らないのです。なんだか沖縄が返還された頃かな、日米安保なんかどうでも いいと思い出したときかななどと思います。そうしたときに、もうこの特集に は掲載されていない新しい女優たちがたくさん私たちの前に出てきました。た だもう映画女優という感じではありませんでした。もういわゆる「映画」の時 代も変化してしまったのです。 この雑誌でたくさんの女優たちを見るのも愉しいのですが、インタビュー記 事の「名監督にしごかれて 香川京子」などというのも、興味深く読むことが できました。彼女のやった役柄で、「意外な役」というと、「赤ひげ」の色情 狂の娘役とか、「猫と庄造と二人のおんな」だなどというのは、読んでいてそ のままうなずいてしまいました。 それにしても、この特集を執筆している方は、昭和21年生まれが二人で、 あとは34年、36年生まれで、私が23年生まれと思うと、たぶん特別子ど ものときに映画を見る機会に恵まれていたとも思えませんから、きっと青春期 にそれこそしこたま映画を見ていたのだろうと思います。そしていまもビデオ があるのはいいですね。 ただし日本映画はビデオにもならずフィルムが劣化してしまい処分されてし まうものがたくさんあるようです。これは残念なことですね。早く劣化しない 形での保存が必要なのと(当然私たちが使っているコンピュータシステムでで きるはず)、やっぱり私たちがもっと熱心に映画を見ていくことが大事なよう に思います。 (2001.10.08)長谷川伸「瞼の母異本」「関の弥太っぺ」
若い人と話して、新国劇をしらない人がいたりして驚いてしまいます。沢田 正二郎なんていったら、もっと知らないし、辰巳柳太郎と島田正吾なんていっ ても知らない。説明するのも面倒なんですね。 「あのね、宝塚ってあるだろう。あれは女ばかりだけど、それを男だけにした 劇団だよ」(正確には女性の団員もいましたが)なんていってもますます分か らないんですね。 その新国劇といったら、それはもう長谷川伸の戲曲でしたね。「一本刀土俵 入」「沓掛時次郎」「関の弥太ッぺ」「雪の渡り鳥」……、なんでもいいので すが、やはり「瞼の母」が一番好きです。加藤泰の中村錦之助主演「瞼の母」 もよかったです。いつでも泣けますね。 私は長谷川伸全集で「瞼の母」を読んで、ぼろぼろ涙こぼしたことあります。 ちょうど日曜日の朝京成線で千葉市へ仕事いくときでした。電車すいていたの で助かりました。でもいまでも同じですね。 長谷川伸もいつも新国劇の「瞼の母」を見ていて、いつも泣いていたようで す。いつも豆しぼりもってきていて、それで涙を拭いていたといいます。実は 「瞼の母」は長谷川伸自身のこと書いているのです。彼も母親と生き別れだっ たのです。それでいつも劇見て未だ見ぬ母を思い出していたのでしょう。 そして劇のように瞼の母と再会します。長谷川伸はその母のために、母親の 生きている間はこの「瞼の母」の上演を禁止します。 ところでこの「瞼の母」なのですが、長谷川伸は亡くなるときまで、最後の シーンの構成を悩んでいたようです。実の母親の冷たい仕打に、忠太郎が上下 の瞼をあわせりゃ昔のおっかさんがでてくる、逢いたくなったら俺あ眼をつぶ ろうと決意する最後のシーンのそのさらにあとです。 書名 瞼の母異本 著者 長谷川伸 発行所 朝日新聞社「長谷川伸全集第15卷」 異本(一) 忠太郎 (一度去ったが、その絶叫が聞こえる)おッかさあンー。 (駈け来たる)おッかさあンーおッかさあンーおッかさンー。 (おはま母子のあとを追う) 幕 異本(二) おはま・お登世(呼ぶ声を聞きつけ、引返し来る) 忠太郎(母・妹の顔をじっと見る) おはま(全くの低い声)忠太郎や。 お登世(低い声で)兄さん。 忠太郎(母と妹の方へ、虚無の心になって寄ってゆく) おはま・お登世(忠太郎に寄っていく) 双方、手を執り合うその以前に。 幕 結局長谷川伸は、この結末を決めないまま亡くなってしまいました。最後ま で自分の瞼の母と実の母との間で悩んだんでしょうね。でも私はこの異本の結 末が好きです。やっぱり私は忠太郎に母親と会って欲しいのです。この異本で もう一度新国劇が見てみたい。この結末で錦之助の「瞼の母」も見てみたいと 思います。でももう当然無理なお話です。 もう今では、辰巳柳太郎はなくなりましたが、まだ島田正吾さんはお元気で す。 それで私はこの二人では、やはり辰巳柳太郎が好きでした。島田正吾はあの せりふの喋り方がすこし気になってしまっていたのです。このふたりの共演し た芝居としては、「関の弥太っぺ」があります。主人公の関の弥太郎を島田正 吾がやり、たちのわるい箱田の森介というのを辰巳柳太郎がやりました。私に はそれが不満でした。その逆の配役にしてほしかったのです。それで急にまた この「関の弥太っぺ」を読みかえしてみました。 題名 関の弥太っぺ 著者 長谷川伸 発行所 旺文社文庫 関の弥太郎という旅人が、ある大盗人を切りますが、その男の最後の頼みで、 その男の娘お小夜を母親の実家甲州街道吉野宿沢井屋に預けます。人のいい弥 太郎は、結局五十両までおいて、名前もいわず立ち去ります。箱田の森介とは、 切ったはったの間柄ですが、決闘しているところを笹川の繁蔵親分の仲立ちで 仲直り親友になります。 沢井屋にいるお小夜はあれから七、八年たって見違えるほど綺麗な娘になっ ています。 降るほど縁談はあるのだが、当人が何といっても承知しねえ、という訳は、 さっき話した通り、お小夜って子が、十か十一の時、助けてくれた男の夢 をなんどとなく見るのだそうだ、で、本物にあったことはねえ、夢で逢っ て馴染の恩人に、いつとはなく惚れたらしいのよ、 これを弥太郎と森介は一緒にききます。「お前じゃないのか」という問にも、 弥太郎は「ご冗談でしょう。あっしゃそんな気の利いた真似はして来なかった」 と否定します。ところが悪い森介は自分がその男のふりをして沢井屋に乗り込 みます。 沢井屋ではこの突如現れた昔の恩人に困りはてています。無理難題ばかりい うからです。そこへ、お小夜のことが気にかかる弥太郎が現れ、怒った弥太郎 は森介と切りあいになります。弥太郎こそがあのときの旅人と知って、森介も 急に自分を恥じて自分から切られようとします。 森 介 哥兄(あにい)………きょうから哥兄といわしてくれ。 弥太郎 うむ、よく云ってくれた、嬉しいぜ。 ということで、最後はふたりで合羽をかぶってそろってお小夜の前から去って いきます。 私はこの最後のシーンが大好きでした。辰巳柳太郎と島田正吾が肩組んで (実際はいっしょに合羽をかぶる)行くのが、なんだか身が震えるくらい嬉し かったものです。ただできたら、配役を逆にしてほしかった。一途な弥太郎こ そ、辰巳柳太郎で、調子のいい悪い森介はクセのある島田正吾のほうが適役だ と思っていたのです。しかし、島田正吾の書いた「弥太っぺのことなど」とい う文を読んで、やはり本来この芝居は主役を辰巳柳太郎で考えられたというの を知りました。 この最初の上演のとき、当時はまだ無名の辰巳柳太郎が抜擢されましたが、 おおくの先輩たちが反対する。それで純情一途な辰巳は遺書を残し失踪してし まいます。数日後真夜中谷中の沢田正二郎の墓の付近で警官に見つかります。 そんなことで、この弥太郎の役は島田正吾にまわってくるのです。 この失踪の前に辰巳柳太郎は島田正吾に一枚の紙きれを渡します。 島田 あのとき、別れぎわにお前は俺に手紙をくれてるんだ。なんかの時 に見せてやろうと思って、おれは今でも大事にとってあるよ。 辰巳 そうか……全然記憶がない。よっぽど俺はどうかしてたんだな。手 紙のこと、いまお前に言われて初めて知った。どんなことが書いてあ る? 島田 まあいい。いわねえや。(笑い) 別れ際に渡された手紙、それには唯一行、「おれの友だちは正ちゃん一 人だけだ」と書かれてあった。 あれから幾星霜、戦争をはさみ、風雪の苦労をいたわりあいながら、新 国劇とともに生きているぼくと辰巳である。よくよくの宿縁であろう……。 ふたりの熱い友情を感じます。辰巳柳太郎がなくなったとき、島田正吾の気 持ちを思って随分哀しかったものですが、その後も島田正吾は元気に演じ続け ていますね。嬉しいことです。 私はいつも、島田正吾の演技を見るとき、かならず辰巳柳太郎の姿も思い浮 かべています。きっと島田正吾にも、自分を見つめてくれる辰巳柳太郎の眼が あるのではないでしょうか。 もう絶対に無理なことなのですが、「関の弥太っぺ」の最後のシーンを、配 役はどちらが弥太郎でもいい、ぜひあの二人で見てみたいなあと思います。
更新日:2004年11月02日