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これは「ヤクザ映画の終焉」といわれている映画です。
題名 竜二
制作 プロダクションリュウジ
脚本 鈴木明夫
監督 川島透
1983年10月封切
配給 東映
キャスト
花城竜二 金子正次
花城まり子 永島映子
花城あや もも
直 佐藤金造
ひろし 北 公次
関谷 岩尾正隆
シナリオを書いた鈴木明夫というのは、主演した金子正次のぺンネームです。
金子正次は自分で映画が作りたくて堪らなく、自らシナリオを書いて、たぶん
松田優作に主演して欲しかったように思いますが(私の思い込みです)、結局
は自分で演じてしまいました。そしてそれが、この映画の成功につながりまし
た。しかし、この映画が封切りになったのは1983年10月29日ですが、
金子正次は11月6日未明亡くなりました。癌でした。未だ33歳という若さ
でした。
見ていると、ただただ画面に引き付けられます。高倉健や鶴田浩二、渡哲也
の映画のように、画面に向かって声をかけることはできません。画面をただ見
つめているしかないのです。そして最後のシーンで涙が頬を伝わります。これ
は誰も同じだと思います。
最後に、ある商店街の開店大売り出しにまり子が娘あやを連れて並んでいま
す。その二人を遠くから竜二が見つめています。
竜二の顔がゆがんでいきます。涙が流れます。そのまま黙って振り返って竜
二は去っていきます。その竜二の背中を見ているまり子が竜二を少し追います。
でも足を止めたまり子がつぶやきます。
まり子「あや、ばあちゃんのところへ帰ろうか」
あや「また全日空にのれるの?」
まり子の顔が映ります。
竜二の頬に涙が伝わるときに、見ている私たちも同じく涙が頬に流れます。
もう振り返らない竜二の心の中も、それを見つめているまり子の心の中も、誰
もが分かりすぎるくらいに分かっているからです。
竜二は新宿のヤクザです。子分は直とひろしの二人です。竜二たちはルーレッ
トとばくのあがりで十分いい生活、いい顔ができます。また竜二は新宿三東会
の大幹部であり、女にももてて、実に格好よく見えてしまいます。
だが実は竜二は不安です。「いつまでもヤクザをやってていいのか?」と不
安なのです。そのことをもとの兄貴分のヤクザで、今は堅気になっている関谷
にうったえに行きます。
竜二「なんか妙に怖くて、落ち着かないんすよ、ヤクザやっているから死
ぬの生きるのって、別にどって事ないつもりなんですけれど、どうも
弱気になるんすね。嫌なんすよね争い事が、それになんだか金もそん
なに欲しくないないんすよねこの頃」
関谷「ふーんそうか、竜二、お前だけじゃないよそんな風に考えたのは、
俺だってあの頃は毎日不安で、自分が何処にいるのかよくわからなく
なって、何回窓から行きそうになったか、弱い人間だからな俺達は、
あの頃は子供の寝顔みながら不安と戦ったよ、助けてもらったぜ女房
子供には、だから俺は捨てたね。自分のことは何もかも」
関谷「逢いてえだろ」
竜二「逢いたいすね、逢いたいすよ、よく夢に見るんすよね、娘が一人で
泣きながら歩いている夢を、夜中に飛び起きて、もう何もかも捨てて
飛んで行きたくなるんすよね」
関谷「堅気になるか竜二、俺みたいに」
この二人のセリフは一体何でしょうか。格好いいヤクザではなく、どこの酒
場でも毎日交わされているだろうサラリーマンのたわごとなのです。
花の都にあこがれて、飛んできました一羽鳥、ちりめん三尺ぱらりと散っ
て、花の都は大東京、金波・銀波のネオンの下で、男ばかりがヤクザじゃ
ない、女ばかりが花でもありません。六尺たらずの五尺のからだ、今日も
ゴロゴロ明日もゴロゴロ寝さまようわたしにもたった一人のガキがいまし
た。そのガキも今は無情にはなればなれ、一人淋しくメリケンアパート暮
らしよ、今日も降りますドスの雨、刺せば監獄、刺されば地獄、私は本日
ここに力尽き引退いたしますが、ヤクザモンは永遠に不滅です。
竜二はヤクザを辞めます。ある酒屋の店員になります。匕首を持ったり、人
を殴った手で、慣れないビールのケースを運びます。妻も娘も帰ってきて、3
人でつつましい生活が続きます。安い給料を得て、3人で囲む食卓は温かくて
心地いいものです。
でもでも、次第に竜二の心には何かがわき上がってきます。ある路を一人で
歩く竜二が映されます。竜二は涙を流して歩いています。その涙で画面がゆが
みます。街がゆがんで見えるのです。
もう60年代や70年代ではありませんでした。健さんのように着流しで決
めるわけでもなく、渡哲也のように真っ白なスーツで匕首を抜くわけでもあり
ません。サングラスを外した竜二はただの小市民でしかありません。おそらく、
この年代はみなサングラスを外して小さなアパートに納まっていきました。誰
もがみな心の中に「ふつふつ」とした、何か納まりきれないものを抱えながら、
そのまま黙って毎日をただただ過ごしていきました。
こうした、どうしてもやりきれない気持を私たちは忘れ去るようにしてきた
わけですが、竜二はそういきませんでした。結局彼はヤクザに戻ります。その
ヤクザに戻っていく竜二の背中をまり子と私たちが見て、涙の中でこの映画は
終わります。
そして何故か、そうした竜二である現実の金子正次はすぐに亡くなってしま
いました。竜二で生きることは、もう無理な時代になってしまったのでしょう。
この竜二が少しの間見たただの小市民である生活者を、そちらのほうにこそ
大事な存在があるのだとして、それによって立つ根拠を吉本(吉本隆明)さん
は、私たちに教えてくれました。ヤクザとして生きるよりも、実はただの平凡
な生活者として生きることのほうが、つらいし、大変なことなのです。私もそ
うした存在にこそ意味を感じていますし、自分自身もひたすらそうした存在に
なろうと思ってきました。それでもそれでも、やはり自分の中にいる竜二の気
持も忘れることはできません。ただ言いたいのは、私なら私は、竜二になれな
かったのではなく、竜二になろうとはしなかったということなのです。だから、
私も涙の中で竜二の背中を見るしかないのです。
それにしても、金子正次はよくこれだけの映画を作ってくれました。こんな
映画に会えたというのは実に嬉しいことだと思っています。それから、この映
画のヒロインである永島映子ですが、実にいいですね。これほどの女優がよく
いたものだな。よくこれほどの女優を見いだしたものだなと、金子正次の慧眼
に驚くばかりです。
金子正次の、この映画の中に私たちの竜二になりたい気持を押し込めてくれ
ました。私たちは竜二にならず、さらにきついつらい、そしてやりがいのある
今を生きて行きたいと思っています。竜二の気持は、ときどきこの映画を見て
思い出すだけでいいのです。 (1997.11.24)
わが青春に悔なし

題名 わが青春に悔なし
封切 1946年10月
監督 黒沢明
配給会社 東宝
キャスト
八木原幸枝 原節子
野毛隆吉 藤田進
八木原教授 大河内伝次郎
糸川 河野秋武
野毛の母 杉村春子
野毛の父 高堂国典
八木原夫人 三好栄子
特高毒いちご 志村喬
私はこの映画を1968年の4、5月ころ銀座の並木座で初めて見ました。
黒沢明の戦後最初の作品ということでしたが、のちの黒沢作品とはかなり違う
ものを感じました。やはり、戦争が終ったという喜びとそして二度とない青春
をいかに力強く過ごた男女がいたのかというようなことをまず感じたものです。
そして原節子の美しいこと、もう忘れられない女優になりました。
内容は戦前の京大滝川事件と、ゾルゲ事件を題材にしています。八木原教授
は滝川京大教授であり、野毛は尾崎秀実がモデルであると思われます。
最初京都の吉田山にハイキングしている一団がいます。八木原夫妻とその娘
幸枝、そして京大の八木原教授の生徒である学生たち数人です。幸枝は大変に
美しく活発なお嬢さんです。幸枝のひくピアノが何度も画面に出てきます。そ
のピアノをひく幸枝の指はいかにも美しいのです。野毛も糸川も幸枝に恋して
いるようです。吉田山で小さな小川を渡れない幸枝に糸川が手を差し伸べます。
なかなか手が届かないでいるところに、野毛が靴が濡れるのもかまわず、川に
入って幸枝を抱き上げます。見ている他の学生たちはみんな思わず拍手をしま
す。幸枝をめぐる野毛と糸川という二人の男がこのとき対照的に描かれていま
す。そして時は昭和8年、日本がますます大陸への戦争にのめり込んでいった
時代です。
現実では滝川事件ですが、八木原教授が攻撃されます。学生たちは「学問の
自由を守れ」と立ち上がりますが、警察の弾圧にあい、野毛以下逮捕されてし
まいます。八木原教授は学園を去りますが、同時に野毛も大学を去ります。こ
の闘争に敗北した学生たちからは、野毛はもはや学生運動ではもの足りないの
だという声が聞かれます。だが貧しい家庭である糸川は真っ先に運動から離れ、
大学を卒業します。
野毛は東京で思想運動を続け、当局からにらまれているようです。糸川は検
事になっています。20代になった幸枝は、両親の止めるのも聞かず東京へ出
て行きます。いままでのようなお嬢さんとしての生活を捨てたいということと、
やっぱり野毛に会いたいという気持なのでしょう。
東京で偶然幸枝は糸川と会います。レストランで食事するなかで、糸川は自
分が結婚して子どものいることをいい、さらに野毛の消息を伝えます。糸川の
いうところだと、野毛も転向して、今では支那問題の専門家として活躍してい
るとのことです。糸川は野毛の論文の出ている雑誌を手にしています。
幸枝は野毛の事務所へ行きます。だが事務所の前まででいつも躊躇してしま
います。あれほど活発なお嬢さんだった幸枝がいつも事務所の前までしか来る
ことが出来ないのです。それがなんと1年も続きます。私にはこのときの原節
子がたまらなくいじらしいのです。でもどうやら二人は事務所の前で再会しま
す。二人は結婚します。野毛も幸枝が心から好きでした。だが彼は偽装転向し
て、いわば反戦活動をやっているのです。幸枝を巻き込みたくはないのでしょ
う。でも幸枝は、私にもそのあなたの仕事を分けてくださいといいます。
結婚生活は束の間です。野毛は逮捕されます。担当検事は糸川です。幸枝も
拘束され、特高からきびしい取り調べをうけます。太平洋戦争が始まり、幸枝
は糸川の力もあって釈放されますが、野毛は獄死します。野毛はスパイだった
いう汚名のみが残ります。
幸枝は野毛の実家に行きます。野毛の妻だからです。野毛の両親は息子がス
パイだったということで、村中から敵視されています。その中で幸枝も農作業
をやります。ピアノしかひけなかった手で、厳しい肉体労働を手掛けるのです。
この幸枝が必死に農作業をして、田植えをするこの野毛の実家でのシーンなど
は誰でも涙が出てくるのではないでしょうか。苦労した田植えも、心無い村人
たちのためにめちゃくちゃにされます。「売国奴」「スパイ」というような紙
を貼った杭が田に並びます。それでも幸枝、そして野毛の母、そして何も喋ら
なかった父親も必死になります。私はこの父親が遂に怒って、自らから田の余
計な杭を抜くところでは涙が止まらなかったものです。
この幸枝のところに糸川が尋ねてきます。糸川の前にたくましく日焼けした
幸枝の姿があります。糸川は何か後ろめたいのか、元気がありません。私には
何故かこの映画の中で、この時の原節子が一番美しく思えます。「もうこの指
では、ピアノなんかひけませんわ」という原節子の指ほど美しく見えたものは
ないのです。
野毛君の墓参りをしようという糸川に、幸枝は「およしなさい」と強く言い
ます。幸枝には糸川が野毛を殺した側の重要な人物であることが判っていたの
でしょうか。雨の中を糸川は茫然となって帰っていきます。おそらく、幸枝に
まだ未練のあった糸川も、これで幸枝の心は完全に野毛のものになったという
ことを知ったのです。もう糸川は画面からは姿を消します。
戦争が終って、京都の実家に帰ってもいいはずなのですが、幸枝は野毛の実
家のある村で、婦人運動をやっていくような決意でいます。京都の吉田山で束
の間の思い出のあと、幸枝は村へ帰っていきます。あれほどスパイの妻として
毛嫌いしていた村の人もいまでは彼女を尊敬しているようです。
八木原教授は京大に復職しました。教壇で、反戦の為に雄々しく闘った野毛
のことを話しています。
幸枝にとって、野毛と出会えた青春は悔いないことでした。けっして素晴ら
しい日々とはいえはしないでしょうが、彼女の青春は、そして野毛の青春は悔
いないものだったのです。
というようなところまで、私はずっとこの映画について思ってきていました。
いつ見直してみても涙が出てきてしまう映画です。ところがあるときまたこの
ビデオを借りてきて見た次の日の昼間、私の事務所の近くの交差点を渡ってい
たときに、ふと思い浮んだことがあったのです。
いったい、野毛を殺したのは誰なんだろう?
一瞬私の中でひらめいたのです。
尾崎秀実を殺したのは、そりゃやっぱり近衛文麿じゃないか。そうだ間
違いないさ。
そこでまたこの映画について考えることになった訳です。そしてまた私はク
ライアントへ行って仕事をしたりして、しばらくたったあと、帰宅の電車の中
で、再度考えたのです。よくいろいろと、再構築する感じで考えました。そう
するとどうしてか怖ろしい真相みたいなものが浮んできたのです。
たしかに近衛には動機があるが、尾崎秀実の殺害の最高指令を出したの
は、実はスターリンではないのか?
私はどうしてか、この真相にたどりついたように思っているのです。そして
その私のいう真相から、再度この映画を見ていきたく思うのです。
それには、やはりゾルゲ事件ならびに尾崎秀実の問題、そして近衛文麿の果
たした役割、それに第2次世界大戦の問題などを見ていかなければならないで
しょう。そうしたときに、私にはまた違う糸川の青春像が浮んできたのです。
さて「わが青春に悔いなし」の話を続けます。いったいこの映画のモデルで
ある尾崎秀実およびゾルゲ事件とは何だったのでしょうか。
ゾルゲとは戦前ドイツ大使館周辺にいた通信記者です。このゾルゲは絶えず
ドイツ大使オットーと交際していました。ゾルゲは日本の情報をドイツに渡し
ていたのです。しかし、実は彼は二重スパイであり、ソ連に対してこそドイツ
の情報、日本政府の情報を流していたのです。彼は熱心なるマルキストでした。
そのゾルゲときめ細かく連携して動いていたのが、尾崎秀実です。尾崎は近衛
文麿の重要なブレーンとなり、数々の政策を提案作成していきます。尾崎のみ
ならず、近衛の周りには、尾崎の息のかかった転向左翼がいました。ゾルゲ及
び尾崎秀実たちは一体何をやろうとしていたのでしょうか。それは単に、反戦
運動(これは全く嘘でしょう、彼等には反戦なんて意思はありません)とか、
あるいはソ連の為の単なる情報収集ではなかったと思うのです。
彼等が至上目的としていたのは、革命祖国ソビエトの防衛です。革命ソビエ
ト国家は、過去各国列強のやったシベリア出兵等干渉戦争には辛うじて勝利で
きました。しかしもうまた繰返すわけにはいかない。そして独ソ戦は必至であ
ると考えていたと思います(だが、必至であっても、スターリンは時期を見誤っ
ていたと思いますが)。独ソ戦を考えると一番怖ろしいのは、勇猛な日本軍に
シベリアから進撃されることです。日露戦争の敗北がスターリンの瞼に浮んで
いたはずです。独ソ戦が必至ならば、なんとか日本との第2戦線だけは避けな
ければならないのです。それがゾルゲそして尾崎に課せられた任務でした。彼
等自身も、革命ソビエト、労働者の祖国ソビエト防衛の為に、心の底から、真
剣に取り組んでいったはずです。
彼等にとって怖ろしいのは、北進論(すなわちソ連をまず敵とする陸軍を中
心とする戦略論)を称える軍部の傾向です。だから北一輝は処刑されました。
北一輝は中国を愛しました。中国を苦しめる日本、この祖国日本の魂からの革
命を目指しました。北は、米国を敵としては考えていません。ソ連をこそ敵と
して考えていました。だから近衛が北を処刑したのです。
また尾崎たちにとっての敵は、いわゆる欧米派といわれる政党人や、官僚た
ちです。具体的にいうと、吉田茂や広田弘毅です。だから尾崎の傀儡であった
近衛文麿は政党を解散し、大政翼賛会をつくり、東亜新秩序を称えていきます。
なんとしても、中国との戦争を長引かせ、日米戦争に至ることが革命ソビエト
の防衛になるのです。尾崎秀実の目論見どおり、近衛は動いてくれ、日米戦争
に到ります。私はいわゆる太平洋戦争というのは尾崎秀実が考え、形作ったも
のであったと思っています。
日米戦争の開始、真珠湾の日本軍の攻撃を一番喜んだのは誰でしょうか。私
は3人の人物が思い浮びます。チャーチルとルースベルト、そしてこれを企画
演出したスターリンです。
チャーチル「これで米国も真剣にドイツとやる気になってくれた」
ルーズベルト「これで米国こそ世界の覇権をにぎれるぞ」
スターリン「これで我が革命ソビエトは救われた」
まあ、一番ルーズベルトが阿呆で利用されたようには見えてしまいますが、
米国はこの野望を結果としては達成しました。
さて、ここで「わが青春に悔いなし」に戻ります。
野毛は、逮捕されるとき、幸枝にハンドバックを買ってあげています。彼は
幸枝を自分の運動に巻き込みたくはなかったでしょうが、もうしかたありませ
ん。だが何かもう達成した(すなわち、近衛の新東亜新秩序体制は半ばできた)
と思っていたのではないでしょうか。それでこうしてハンドバックを買ってあ
げる気になったのかもしれません。
だが、野毛はそのハンドバックをもって、何故かカフェー(ビヤホールみた
いなものでしょう)に寄ります。どうして早く帰宅して幸枝の喜ぶ顔を見ない
のでしょうか。野毛のような高邁な思想家が突然ビールが飲みたくなったとは
思えません。私はここに謎があると思います。野毛は糸川からの圧力を充分感
じていました。自分の行動を逐一見つめている、糸川の眼を何時も意識してい
ました。野毛は、このビヤホールで糸川と会う約束をしたのではないでしょう
か。糸川と対決したいのです。だが相手は国家の治安の側の検事です。対決す
るのには、野毛の側に何か切り札がなければなりません。その切り札は、野毛
にとって、近衛文麿だったのではないのかと私は思うのです。つまり、いくら
糸川が私を追及しても、俺のバックには実は近衛公がいるのだという真相を、
昔の学友である糸川に話して、彼がいくら追及しても無駄だよと言いたかった
のではないのかと思うのです。
だが、そのカフェーに糸川はきません。ウェイターの顔を見て、野毛は驚き
ます。野毛はそのウェイターにつかみかかり、そこで逮捕されます。そのウェ
イターはよく顔見知りになってしまった特高の刑事だったのでしょう。
このシーンのあと、野毛はもう画面に出てきません。獄死したことが糸川か
ら、八木原教授に伝えられるだけです。実際に野毛を殺害したのは特高として
も、糸川がそれを知らないわけがありません。彼が野毛の担当なのですから。
近衛文麿は実際にゾルゲ事件が起きたとき、どんなに驚愕したことでしょう。
段々と捜査が自分の身辺にまで及んできます。近衛公その人自身まで関係して
いるのかなというあたりで、捜査は終ります。近衛は尾崎秀実の口から、自分
の役割がばれるのをかなり恐れたと思います。だが近衛はただ尾崎に操られて
いたにすぎません。本当にこの事態で困ったのは、実はスターリンではないの
でしょうか。尾崎が口を割り、完全に転向することにより、政党や官僚の欧米
派が復活して、日米開戦を避けるような体制が作られたら、祖国ソビエトはど
うなってしまうでしょうか。また陸軍の北進論派(これは皇道派でもある)が
復活して、満州から精強な日本陸軍が進攻してきたらどうなるでしょうか。
だから、スターリンは尾崎の殺害を指令するのです。さて直接誰がこの指令
を受け取ったのでしょうか。
私はこの「わが青春に悔いなし」では、この糸川にこそ、この指令が伝わっ
たのではないのかと思うのです。もう役割の終った野毛を処理する指令が糸川
に下されたのです。糸川は学生のとき簡単に転向して検事になったように見え
ます。だがかなりな葛藤があったはずです。恋していた幸枝も、結局野毛の妻
になってしまいます。彼の屈折は、それでもその野毛よりもさらに上位のこと
を貫くことで、晴らされたのではないでしょうか。それは、革命祖国ソビエト
を防衛するために、野毛を殺害することです。彼にはこれで自らの思想が貫徹
されたのです。
だがこのことは誰に喋ることもできません。戦争中幸枝に会いにいった糸川
は、幸枝の心が、すべて野毛にあるのを知ります。茫然と雨の中を歩いていく
糸川は何を考えていたのでしょうか。私が勝手に糸川の心を覗きます。
野毛は革命ソビエトの為に闘い、今幸枝の心を得た。だが俺こそが、野
毛を殺すことにより、革命祖国ソビエトを守ったのだ。それでも俺はこの
ことは墓場までもっていって誰にも喋らない。結局、お嬢さんになんか、
何もわからないんだよ。
勿論これは私が勝手にすべて推測しているのです、黒沢明はこんなことまで、
まったく考えていないでしょう。それにしても、ゾルゲ事件、近衛文麿の役割、
尾崎秀実のやったこと等々の真実から、私はこのようにこの映画を解釈したの
だということなのです。
映画には出てこない近衛文麿は日本の敗北で青酸カリで自殺します。彼は自
分の果たした役割について充分理解できる時間がありました。彼は自分が救っ
てやったソビエトロシアを通じて、和平工作を続けました。しかし、スターリ
ンもトルーマンも蒋介石もそれを無視します。彼にはもう尾崎秀実と同じ死し
か用意されていなかったのです。
その後、幸枝はきっと農村で活躍しながら、やがて日本共産党、あるいは社
会党との間で、運動そのものに嫌気がさしていったことだろうと思います。そ
して糸川のその後は、東映のB級やくざ映画「懲役太郎まむしの兄弟」で、ま
むしの兄弟の菅原文太と川路民夫の二人に刺青を入れている彫り師の姿(を河
野秋武が演じている)なのだと思ってしまうのです。
糸川(河野秋武)は、戦争中原節子に会ったあと、どうしてか流れ 流れて、
彫り師になって今こうしてまむしの兄弟に墨を入れているのかなんて思ってし
まうのですね。
そしてその糸川は最後まで真相は黙っているに違いありません。そして年老
いた彼こそがいうはずです。
わが青春に悔いなし (1994.11.24)
私があえてこの「わが青春に悔いなし」の野毛と現実のゾルゲ事件における 尾崎秀実のうごきとを、ごっちゃにしていることについて、どうしてこのよう なことを思いついたのかという訳を「周の文学哲学歴史話」に「尾崎秀実の ことで」ということでUPしてあります。少し長い論考ではありますが、ぜひ こことあわせて読んでいただきたく希望します。(1999.02.16) |
更新日:2005年06月06日