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はじめに 将門Webの表紙にもあるとおり、私周は下着は赤の越中ふんどしです。私 は中学2年のときから、下着を白の越中ふんどしにかえ、その後はそのままやっ てきました。そのあとは一度も別なものをしたことがないです。学生運動で府 中刑務所に入ったときも、どこかの銭湯に入っても、社員旅行で温泉に行って も、誰もに珍しがれましたが、ずっとこれだけでした。私の彼女になった女性 たちも最初の最初は驚いたでしょうが、そのうち当りまえになったものでした。 ただ、問題はこれをどう調達するのかということです。ずっと私の母が作っ てくれており、結婚してからは私の妻が作ってくれていました。そういえば、 私が東大闘争で逮捕され勾留された東調布署へ、当時の運動の仲間の女の子が わざわざふんどしを作って差し入れしようとしたのですが、警察から断られた と聞いています(東京の留置場では、ベルトとかふんどしとかいう長いものは 首をくくれるというので取り上げられるのです)。 それがデパートでも売っていることを知りまして、しかも色もたくさんある ことを知りました。それで赤ふんもするようになりました。娘二人も、子ども の頃は嫌で堪らなかったようですが、大学生になる頃には、認めてくれるよう になりました。このことについては、次女が次に書いてくれています。 父について それで、この将門Webを開設するときに、長女に「パパのイラストを描い てくれ」と頼んだら、すべて私が赤ふん姿のものを描いてきました。3点ある うちの1点を選んだのが表紙の私の姿になっているのですが、こうなると私は もうふんどしでも、白色はやめて赤ふんばかりするようになりました。 そして今になりますと、この私のふんどしへのこだわりについても、私のホー ムページで披露していくべきだなと考えました。今後さまざまなことを書いて 行きたく思っております。 (2002.08.26) 私は、「今ふんどしの人が増えているんだ」なんて言っていますが、次女に は、「そんなのは嘘だ」とばれまくっています。 次女とふんどしの話 私は今、初孫が男の子ですから、「あ、この子にも赤ふんにしよう」と勝手 に思っていますが、もう長女には大反対されるでしょう。 思えば、もう私は今後ずっと少数派でいくしかないのかなあ。悔しいことで すが、もう何も変わりそうもありません。 (2007.05.17) |
| 夏にふんどしで困る現象(2004.09.06) 次女とふんどしの話(2005.02.12) 「ふんどしを下着としている人は周さんだけ」 (2006.05.17) |
更新日:2007年05月21日