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曹操が官渡の戦いで袁紹をやぶり、そののち袁紹の甥高幹を討伐する途中、 厳冬の太行山を越えるときの行軍の苦難を歌った詩があります。これは建安一 一(西暦二〇六)年のことです。 苦寒行 曹 操 北上太行山 北のかた太行山(註1)に上れば 艱哉何巍巍 艱き哉何ぞ巍巍たる 羊腸坂詰屈 羊腸の坂(註2)詰屈し 車輪爲之摧 車輪之れが為に摧く 樹木何蕭瑟 樹木何ぞ蕭瑟たる 北風聲正悲 北風声正に悲し 熊羆對我蹲 熊羆我に対して蹲まり 虎豹夾路啼 虎豹は路を夾んで啼く 谿谷少人民 渓谷人民少なく 雪落何霏霏 雪落つること何ぞ霏霏たる 延頚長嘆息 頚を延ばして長嘆息し 遠行多所懷 遠行して懐う所多し 我心何怫欝 我が心何ぞ怫欝たる 思欲一東歸 一たび東帰(註3)せん思欲す 水深橋梁絶 水深くして橋梁絶え 中路正徘徊 中路正に徘徊す 迷惑失故路 迷惑(註4)して故路を失い 薄暮宿棲無 薄暮宿棲無し 行行日已遠 行き行きて日已に遠く 人馬同時飢 人馬時を同じくして飢う 擔嚢行取薪 嚢を担い行きて薪を取り 斧冰持作粥 氷を斧りて持て粥を作る 悲彼東山詩 彼の東山の詩(註5)を悲しみ 悠悠令我哀 悠悠として我れを哀しましむ (註1)太行山 山西省を中心に河北から河南にかけてそびえ立つ山脈。 (註2)羊腸坂 高幹の占拠する壷関口(山西省長治県)の東南にある坂。 (註3)東帰 曹操の本拠は太行山の東にある。 (註4)迷惑 道に迷うこと。 (註5)東山詩 「詩経」の中の詩篇。周公の3年にわたる東征の後、帰 還した兵士の労苦と喜びをうたった歌。ここでは曹操が周公にならっ て、遠征の成功を祈念したもの。 北のかた太行山を越えようとすれば、 道はかなり険しく、山は高く聳えている。 羊腸の坂は曲がりくねって、 ために車輪は砕けてしまう。 樹木は寂しげに立っており、 北風は悲しく吹きつける。 熊や羆が我らをみて蹲まり、 虎や豹が道の両側から吠えかかる。 谷間には住む人も少なく、 雪はしんしんと降り頻る。 首をのばしては遠くを眺めれば、思わずため息がでる。 遠征する身となれば、なおさら思いはます。 心に言い知れぬ不安があふれ、 いっそ一旦東にひきかえそうかと思う。 川の水が深いのに、橋もなく、 途中あちこち道をさがしまわった。 迷ったあげく、もと来た道も見失い、 夕暮れになっても、泊まるべき宿もない。 行軍してすでに何日もたち、 人も馬も共に飢えてしまった 袋をかついで行って、薪を拾い、 氷をたちわって粥を炊いている。 あの周公の「東山」の労苦の詩を思い出せば、 心にいっそうの深い悲しみがひろがってくる。 吉川英治「三国志」でもこの袁紹残党の遠征のところは印象が深いのです。 よくまあここまできたなという感慨が伝わってきます。この詩の次の年には完 全にこの遠征は勝利で終ります。これにより、この地域の民を永年に渡る異民 族の支配から解放しました。これは曹操の軍事上の功績の一つです。 この詩を最初読んだときは、なにも元気にもなりません。いったい何を辛い ことばかり詩っているのだろうと思いました。兵士たちをさっそうと指揮して いる曹操ではなく、兵士と一緒になって寒さと慣れない土地のため苦労してい る曹操の姿が浮んできます。これがいいのですね。いったいこのような詩を英 雄といわれるような人が詩えるものではありません。 同じ「三国志」における諸葛孔明の南方遠征では、ただただ神のような天才 軍師の華々しい活躍をみるだけです。「擔嚢行取薪 斧冰持作粥」というよう な孔明の姿を想像することはできません。ここが曹操の曹操たるところです。 淡々と遠征のつらさを書いているようですが、私には曹操がちょっと得意になっ ているようにも思えてきます。 「おい、いったいこんなことを詩にできた英雄なんて俺だけじゃないか」なん て言っているようにも思えてきます。 私も何度も何度も読み返してきました。そして曹操のその気持が伝わってく る気がします。実に見事だな、さすが曹操だなと思うところしきりです。曹操「短歌行」
私が「三国志」の中で誰が好きかといわれたら、躊躇なく「それは曹操だよ」 と答えてきました。吉川英治はこの三国志の主役といったら、前半が曹操、後 半が諸葛亮孔明と言っています。これはまったくそのとおりだといえるでしょ う。前半が曹操以下たくさんの英雄たちが中国の大地を好きかってに動きまわ るのにくらべて、孔明が出てくると、何故か生真面目な世界になってきます。 孔明という白面の学問青年に、あれほどの英雄豪傑を抱えた曹操がどうにも手 がでません。いや魏の勢力だけでなく、周瑜以下の呉の豪傑たちも、孔明には ふりまわされます。それどころか、関羽や張飛まで孔明の前では、なんだか成 績の悪いただの暴れものの生徒のような感じになります。「やっぱり四書五経 以下きちんと勉強したものが最後は勝つのだ」と、後世の私たちまでいわれて いるような気になってしまいます。 私は孔明も好きなのですが、それは実はこうした戦争の達人としてえがかれ ていることよりも、彼の真っ直ぐさ、劉備への愚鈍なまでの敬愛を感じるから です。孔明はむしろ軍略家としては、司馬懿仲達よりも2段くらい下だと思わ れます。正史「三国志」で、蜀の生まれである作者があまり孔明を評価しない のは、かの「孔明泣いて馬謖を斬る」の事件のときに、正史の作者陳寿の父親 を責任者として罰したことにあるわけなのですが、この事件をみても、何故こ のような戦略戦術のイロハを守れない馬謖などが一軍の将だったのでしょうか。 曹操以下の幕僚たちには、この程度の将はたくさんいたのです。それが実際に は曹操と孔明の力量の差であり、孔明が仲達には勝てなかったところだと思い ます。 それに比べて曹操の存在の気持ちのいいことったらありません。彼ほど派手 に戦争に勝利する英雄もいないように思いますが、同時に彼ほど派手に戦争に 敗北した英雄もいないのではないでしょうか。まあこのことは吉川英治もいっ ているわけですが。 しかしここではこうした三国志のことを書くことが目的ではありません。私 は詩人としての曹操を見てみたいのです。曹操の二人の息子、次男の曹丕、三 男の曹植とともに『三曹』と呼ばれて、三人とも詩人として名高いのですが、 なにかあると紹介されるのは曹植の詩が多いようです。私はいつも、「なんで 曹植ばかりなの、もっと曹操の詩を紹介してほしい」という気持ちでいっぱい です。私はなんといっても曹操の詩、とくに「短歌行」という詩が好きなので す。 短歌行 曹 操 對酒當歌 酒に対しては当に歌うべし 人生幾何 人生幾何ぞ 譬如朝露 譬えば朝露の如し 去日苦多 去日苦だ多し 慨當以康 慨しては当に以て康すべし 幽思難忘 幽思忘れ難し 何以解憂 何を以て憂いを解かん 唯有杜康 唯だ杜康(註1)有るのみ 青青子衿 青青たる子の衿(註2) 悠悠我心 悠悠たる我が心 但爲君故 但だ君が故が為に 沈吟至今 沈吟して今に至る 幼幼鹿鳴 幼幼として鹿鳴き 食野之苹 野の苹を食う 我有嘉賓 我に嘉賓有り 鼓瑟吹笙 瑟を鼓し笙を吹く 明明如月 明明たること月の如き 何時可採 何れの時にか採るべき 憂從中來 憂いは中より来たり 不可斷絶 断絶す可からず 越陌度阡 陌を越え阡を度り 枉用相存 枉げて用って相存す 契闊談讌 契闊談讌して 心念舊恩 心に旧恩を念う 月明星稀 月明らかに星稀に 烏鵲南飛 烏鵲南へ飛ぶ 紆樹三匝 樹を紆ること三匝 何枝可依 何れの枝か依る可き(註3) 山不厭高 山は高きを厭わず 海不厭深 海は深きを厭わず 周公吐哺 周公哺を吐きて(註4) 天下歸心 天下心を帰す (註1)杜康 初めて酒を作ったとされる人物。ひいては酒のことをいう。 (註2)青衿 周代の学生の制服。ひろく知識人に呼びかけることば。 (註3)月が明るいために星が稀に、我が威力に群雄が影をひそめたようだ。 かささぎが南へ飛んでいくが、樹を三たびめぐっても、依るべき枝が ない。それは、ちょうど劉備たちが身を寄せるところもなく南へ敗走 した姿のようだ。 (註4)周公吐哺 周の周公旦が天下の人材登用の熱心のあまり、一度食事 する間に三度もいったん口に含んだ食物を吐きだして、人と面接した という。 蘇軾が「赤壁賦」において、 灑酒臨江横槊。 酒を灑(したしん)で江に臨み、槊を横へて詩を賦す。 と読んだ英雄曹操の詩がこれです。まさしく赤壁で槊を横たえ詩を賦す曹操の 姿が目に浮んできます。しかし大事なのは、この詩を賦す姿が魏の武将たちの 姿なのです。こうした詩人の姿はこの時代に現れたわけです。 曹操は自分たちの幕僚との間に「友情」といった感覚をもっています。こう した感情は過去にはなかったものなのです。諸葛孔明の「出師表」 先帝創業未半、而中道崩徂。今天下三分、益州罷敝。此誠危急存亡之秋也。 (先帝業創めてより未だ半ばならずして、中道にして崩徂す。今天下三分 して益州罷敝す。此れ誠に危急存亡のときなり。……) を読んでいると、どうみても、孔明と劉備の間に「友情」というようなものを 感じることはできません。だが曹操の詩には、そうした感情が顕れているので はないのかと私には思えてきます。 こうした曹操の気風が建安の七子(偶然6人まで曹操の幕僚たち)といわれ る詩人たちにも流れています。 詩の意味を見てみましょう。すこしよく読みこまないと、曹操の悲壮慷慨の 気が判からないかもしれません。
酒を飲むときには、大いに歌うべきだ。 人生なんかどれほどのものか。 朝露のようにはかなく短く、 過ぎ去る日のみ多いものだ。 (ここまで読むと、どうもそれほどの英雄の詩とも思えません。なにつ まらなく愚痴ってるの、というところでしょう) 思いのままに歌うがいい。 だが憂いは忘れようがない。 何でこの憂いを消し去ろうか、 ただ酒が有るのみだ。 (ここまでもただの酔っぱらいのたわごとです。私たちの飲み方とそう 変わらない。いや私たちよりくどくどしているようにも思えます) 青い衿の学友諸君! わたしのこうした心は、 君たちのなかにすぐれた才能を見いだしたく、 今までひたすら思い続けてきた。 (ここで一転、恋の歌のようになる。そうなのだ、曹操は士を恋うる英 雄なのです) 鹿は幼幼(ゆうゆう)として鳴きながら 野のよもぎを食べている。 そんなようにわたしは大事な友人とともに 琴を鳴らし、笛を吹いてみよう。 明るく輝く月の光は、 いつまでも手にとることはできない。 心の中からくる憂いは、 絶ち切ることはできない。 だが君ははるばると遠いところを、 わざわざこうしてきてくれた。 久し振りに飲み語らって、 かっての友情をあたためよう。 (憂いがなんだろうと、友がはるばるたずねてくれば、こうして飲み語 りあかすのだ) 月明らかに星稀な夜、 かささぎが南に飛ぼうととして、 木のまわりを三度めぐり、 依るべき枝をさがしあぐねている。 (こうして劉備たちは南へ逃げていく、考えてみれば旧勢力である蜀漢 と、こうした新しい感性をもった曹操たちの違いなのだ。結局劉備た ちは曹操とは飲み語る友情というような感覚はもっていないのだ) 山は高いほどいい。 海は深いほどいい。 昔周公は食事の間も食べたものを吐き出してまで、士に会って応対した。 だから天下の人が心をよせたのだ。 (どんなに途中に山や海があろうと、そうした友である士を私は求める のだという曹操の心なのです) こうした曹操の心は、吉川英治「三国志」では「恋の曹操」という章で、関 羽に心をよせながら、関羽に去られてしまう曹操の悲しさを描いています。吉 川英治「三国志」のなかでは、私が一番好きなところです。曹操は自らの幕僚 たちに、「友情」という感性で接することができた最初の英雄なのです。だか ら、曹操は負けても負けてもたくさんの幕僚たちは彼のもとで戦い続けるので す。ちなみに曹操の幕僚たちはみんな好きですが、私は張遼が一番好きですね。 この「短歌行」は詩吟で吟うことはありません。まあ詠って詠えないことは ないでしょうが、少なくとも、詩吟の譜がついているような詩ではないですか ら、自分でやらなければなりませんね。できるでしょうけれども。詩吟でやる よりも、私と飲むとときどきぶつぶついっていることがあったら、「酒に対し ては当に歌うべし、人生いくばくぞ、たとえば朝露(ちょうろ)の如し……」 と、この詩をつぶやいていますから、できたらきいてみてください。

更新日:2005年09月18日