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岡地歯科医院
 私が20代のころから、歯の治療のために通っている医院です。

岡地歯科医院 院長 岡地克彬
  113-0033 東京都文京区本郷1丁目23番6号
  電話 03−3812−0897
  FAX  03−3812−0473

 私が最初に行きましたのは、大学を卒業して就職した会社の一番近くにあり
ましたのが、この歯医者さんだったからです。
 私が24歳のときですが、ある飲み屋で前歯を折ってしまいました。そのと
きに、ここへ行きましたら、この前歯だけではなく、ほかの虫歯も実に丁寧に
直してもらいました。
 その治療では、治療するのに、けっして注射による麻酔はしません。丁寧に
時間をかけて、薬で麻酔をして治療をしてくれたものです。
 前歯が入るときには、その治療費が心配でしたが、当時(1973年)で、
国民健康保険を使って400円でした。あまりの安さに驚いたものです。その
後、私の職場が変わっても、ときどきここに行っていました。先生に最後お会
いしたときに(たしか1991年かな)、そのときまた前歯を作って入れても
らったのですが、先生は、

   今はね、保険使っても結構高くなったんだよね。申し訳ないね。

と言われました。1,500円でした。たしかにこの歯医者さんとしては、高
くなりましたけれど、私にはただただ驚異的に安いとしか思えませんでした。
いつも混んでいましてね、先生は、お昼ごはんを食べる暇も惜しんで、治療を
されていました。
 私はいつも

   これじゃ、少しもお金にならないじゃないの。私はもう少し出してもい
  いのだけれどなあ。

という思いでした。だからこの先生のときには、治療する人が、先生におでん
を持ってきたり、何かをお土産に持ってきていたものです。私が紹介しました
ある女性も、

   あの先生、絶対に安くしかとってくれないから、私の会社の男性化粧品
  を持っていってあげるの

なんて言っていました。
 ただ、この先生も亡くなられて、現在は息子さんがやっておられますが、今
度は完璧に予約制でやっていますから、もう混まないのですが、治療費は先代
の先生と同じ姿勢です。
 先代の先生に見てもらった最後から実に10年ぶりくらいに、私はこの医院
に行きました。またある飲み屋で、私の前歯が落ちたのですね。私はいつも、
こうして歯が落ちても、必ず探し出して、この医院へ持っていきます。
 それで、今の息子さんの院長が、私が持って行った歯を見まして、

   あ、これは親父の仕事だな。よくもつものだなあ。

と言ってくれました。私が24歳のときに、彼の父親が入れてくれたものでし
た。隣の前歯も、差し歯で、これまたここでやってもらったものでした。今度
は息子さんにやってもらっているのです。
 今では、たしか2000年の春に、この歯は入歯になりました。そして今も
元気にモツ焼きを食べていられる丈夫な歯であるのです。

 現在は、岡地克彬院長がその奥さまとご一緒にやっておいでになりますが、
お二人とも真面目でしてね。もう少し商売っ気を出してもいいと思うのですけ
れど、実に丁寧に丁寧に治療され、かつとてもいいアドバイスをしてくれます。
 でも面白いですね。歯医者さんて、こちらの名前は顔は忘れてしまうのに、
歯を見ると、思い出してくれるのですね。
 歯医者にしょっちゅう通う私にはなりたくありませんが、どうしても治療し
なければならないときが、ときどき出てきます。そんなときは、また私はここ
へ行きます。もう30数年、そのまま替わらない、私の大事で大好きな歯医者
さんです。                                   (2007.09.03)



日中康復治療院
 私が今毎週1度通院しております鍼灸院です。院長は石岩(しい・えん)さ
んです。彼は、私たち神田会の仲間でもあります。私はもうちょうど4年前に
なりますが、ここで辛い花粉症を治してもらいました。
 また昨年末に、ゴールデン街のある飲み屋の2階から落ちて、足をくじいて
それが治らないので、またここで治療してもらい、また元気に歩けるようにな
りました。それで、今もまた通っています。健康的なことを何にもしていない
私ですが、ここに通うことだけは、間違いなく健康に向かっていることです。
 そういえば、私は

   思えば不思儀な現象なんですが

で書きましたように、大変に新陳代謝の悪い人間です。夕方になって、やっと
酒くさいおしっこが出て、「やっと昨日の酒が出たな」という感じで、またそ
の日の酒が始まる感じなのです。
 でも、この石先生の治療のおかげで、実におしっこが朝から出てきます。私
はもう実に健康なんですね。
 私の妻も昨年7月末から週1度通院しています。妻はその頃、神経的な円形
脱毛症だったのですが、もう今ではすっかり治りました。その他いろいろと身
体の調子が良くなったということを聞いています。
 石岩先生は、1952年中国遼寧省瀋陽市
生まれ。75年瀋陽衛生学校卒業。外科医と
して市内の総合病院に勤務。81年来日。88
年「日中康復治療院」を東京神田に開業しま
した。
 私はたしか92年に知り合いになりました。
ちょうど私の昔からの友人であり、クライア
ントでもある

   有限会社ナッツ

の佐々木雅治さんと同じビルのナッツの前に、
医院があったのです(現在は同じ神田御茶ノ
水ですが引っ越ししました)。そして、私た
ち神田会の草創の時からの会員です。




  日中康復治療院  院長 石岩
   101-0062 東京都千代田区神田駿河台3丁目1番18号
           サニーヒルお茶の水3F
        電話 03−3219−0289
 以下私が書く内容は、この日中康復治療院がある雑誌に紹介されたときの記
事を参考にしています。ここで使った写真もその雑誌に掲載されたものです。

 西洋医学にどっぷりつかっている日本人は、鍼(ハリ)やお灸で健康が回復
したと聞くと、「本当なの?」と、一瞬疑いの目を向ける。そもそもそうした
考えがずれていることを石先生は指摘する。

   日本人は、半健康状態の人が多すぎます。西洋医学の精密検査をしても、
  なにも原因がわからないから放置されてしまいますが、健康のバランスが
  崩れているのはたしかです。たとえば、肩こりや腰痛は大人なら当り前だ
  と思っているでしょうが、中国人では少ないですよ。『凝り』というのは、
  内臓のバランスが崩れているから起きるのです。ストレスを受けているの
  は、肩や腰の筋肉ではなくて内臓なのです。

と、温和な語り口ながらズバリという。肩こりというものは、中国人には自覚
症状がないほど少ないという。
 鍼灸や指圧でも、当面の腰痛や肩こりを鎮めることはできる。だが、中国医
学の本質は、未来の病気を予防することに力点がある。腰痛、肩こりを完治す
るのには、内臓の疲れを取り除けばいい。それが中国の予防医学なのだ。

 以上のところを私は、「あ、これは三木成夫さんや吉本(吉本隆明)さんの
いわれることと同じだな」と思ったものでした。

(参考)
  三木成夫「胎児の世界」
  三木成夫の業績
  マルクスと折口信夫と三木成夫の三人
  内臓系と体壁系                 (2004.04.12)

 石岩先生は中国遼寧省瀋陽市に生まれました。私は最初にお会いしたときに
「瀋陽生まれ」とお聞きしまして、すぐに「奉天大会戦のあったところですね」
と言ったものでした。そのときすぐに敵将のロシア軍総司令官のクロパトキン
を思い浮かべました。
 看護婦の資格をもった母は日本人で中国人の父は内科医でした。お母さんは
3歳のときに日本を離れ、両親(石先生の祖父母)ととにも満洲に来たのです。
 このことが間違いなく、文化大革命のときに、石先生がかなりつらい目にあっ
たことだろうなと私は思います。
 石先生は瀋陽市の医学学校を卒業し、市内の総合病院に外科医として勤務す
る一方で、中国医学も勉強していました、内モンゴルなどの貧しい地方の村を
往診した体験から、高価な薬を使う西洋医学のほかに、鍼灸治療で予防する中
国医学の可能性を確信していただからだといいます。
 石先生の家族はお父さんの病没のあと、日本に来ることになりました。石先
生は家族に遅れること3年、31歳の1981年に中国人の妻と来日。それか
ら厳しい日本の生活が始まりました。
 来日当初の2年間は、知人を頼って福島県白河市で暮らしました。なにしろ
日本語を勉強する必要があり、夜学で日本語を勉強し、昼間は働きました。新
聞配達、ラジオの組立工。生活するために必死だったといいます。
 そして、鍼灸の医師として独立することを決意しまして、妻を白河市に残し
て単身上京。東京衛生学園に3年間通って、日本の鍼灸。指圧師などの資格を
取得しました。

   多くの友人と妻に助けられました。治療院を開くまでは、何がなんでも
  頑張るんだと歯を食いしばりました。日本で中国医学を実践する夢があっ
  たからです。

 そうして、88年に「日中康復治療院」を開院しました。「康復」とは、健
康回復の意味。中国の手紙の最後にはこの言葉がよく使われます。日中両国の
人々が健康を取り戻すことを願って命名したのです。
 石先生は振り返ります。自分は、中国では外科医として成功を納めつつあっ
た。家族は日本に帰ったが、自分は中国に残って外科医をしたかった。だが、
みんないなくなると、強烈な寂しさが襲ってきたのです。

   これまでの、自分の人生にしがみつくのは止めようと思いました。日本
  にいっても、まだ若いからどんな仕事もできると思った。そのとき妻とは
  新婚でした。

 外科医であった石先生は、西洋医学は否定しません。その上で、中国の予防
医学を発展させたいと思っているのです。
 私は石先生の治
療で花粉症が治り
ました。この治療
法が、私には摩訶
不思議なんですね。
でも石先生には、
ちゃんと研究実践
されてきた結果な
のでしょう。私は
なんだか、ものす
ごく納得してしま
うのです。有限会
社ナッツの佐々木
さんは、痔が治っ
たということです。
その他たくさんの
人が先生に感謝し
ています。

 このところ、数
年前から、鍼灸医
師になろうと学校
に通う若い人が多
くなりました。不
況の中で、手に職
をつけたいと考え
ているのでしょう。
石先生は、そうし
た若い人たちにも、
アドバイスを惜し
みません。中国人
留学生には、無料
で治療してやるこ
ともあります。

   この仕事を
  してみて分か
  りました。わ
  たしは、病気
  の人たちが治るのを見るのがとても大好きなんです。うれしいんです。だ
  から、協力は惜しみませんよ。

 石岩先生は、私たち神田会の最初からの会員です。そして、実は先生は、そ
の作る料理が絶品です。ですから、以前はよく神田会の仲間やそのほかいろい
ろな方を集めて、料理パーティを開いてくれていました。もうその料理が、も
のすごく本格的です。その日は午前中からたくさんの料理を作っていまして、
ずっと作り続けています。神田会の仲間もみな手伝っています。
 私は酒が飲めればいいし、どうせ餃子もうまく包めないので、ずるく遅くい
きます。「この時間に行けば、すぐ乾杯になるだろう」なんていうことで、午
後4時頃いくと、まだ延々と料理を作っています。ナッツの佐々木さんも、昔
長く飯場の料理当番をやっていましたので、

   「日の丸」のこと

 彼に私はいろいろ怒られます。「餃子はこういうふうに包むの!」なんてい
うふうに。それでも私は、うまく餃子が包めません。
 でもとにかく、「もう飲んじゃおうよ」ということで、料理パーティが始ま
ります。そして延々飲んで食べているのです。
 このパーティが実に愉しいのです。でもこのところ、石先生は忙しくて、こ
のパーティが開催されません。
 いや実は真相はこうでないかと思っています。石先生は、実は中国のいいお
酒をいくつも持っています。私なんか、初めて知ったような中国のいい高価な
お酒が何本もあるのです。ただ、こうしたいいお酒は、私のように酒の味の判
らない人に出しても、本来は意味がありません。
 でも、酒を飲んでいくうちに、石先生も酔ってきて、そうした酒をまるで手
品のように何本も出してきます。それを、大事に飲めばいいのに、ただ馬鹿の
ようにかぶ飲みしてしまうのが私なのです。当然私は記憶がなくなります。で
も私は記憶がなくなっても、何故か活躍しています。そして問題は、高価で貴
重な中国本場の大事な酒が最後にはから瓶になっています。
 このせいで、もう料理パーティなんかやっていられないよね。……というこ
とが原因かしら。
 でもまたちかじかやりましょうよ。

 なんだか、最後は私が余計で迷惑なだけの存在であることを自白してしまい
ました。でもとにかく、私が健康なることをやっている唯一のことが、この石
岩先生の「日中康復治療院」での治療なのです。     (2004.04.19)




理容室プラド
 私がもうここ15年通っている理容室です。

店 名 理容室プラド
住 所 101-0062
    東京都千代田区神田駿河台4丁目3番サンクレール地下商店街
    電話 03−3295−7419

 私は、現在56歳ですが、白髪がありません。実は、ここで毎回髪を染めて
いるからです。ただ真っ黒に染めるのではなく、「白髪ぼかし」というやり方
で、染めてくれます。
 いえ、最初はいくら勧められても嫌だったので、ことわり続けましたが、
「一度だけやってみるか」ということで、やりましたら、もう元へ戻れなくな
りました。
 最初髪を黒く染めるというのは、私は非常に嫌でした。私の親父も、私たち
が横浜港北区白楽にいたときにやっていました。高校生であった私は、「別に
髪なんか染めなくても、親父はあれでいいじゃないか」という思いでした。あ
のとき、親父は50代前半でしたね。
 でも今私自身がこうなってみますと、親父の気持が判ります。髪を黒く染め
るのは、大変に面倒で、おふくろもよく手伝っていました。大変で面倒だけれ
ど、必要だったのでしょうね。
 今の私は、あの頃の親父のようにサラリーマンでもないし、もうどんな髪、
どんな顔をしていてもいいのですが、このプラドの二人の女性に、この「白髪
ぼかし」をやってもらって良かったなと思います。第一、あのときの親父のよ
うに、私自身は何もやらなくていいのです。
 いつも、ここで二人の女性たちと少し話して、私は髪が黒くなりまして、と
ても幸せです。
 あ、それから、このプラドには手乗り文鳥がいますよ。(2005.02.21)

 





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更新日:2007年09月03日