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そういえば、おととい9日(日)は、母のお供で母の実家の茨城県藤代町へ 行きました。叔父さん(母の弟)も横浜から出てきてくれまして、かつ私の従 兄従姉妹も来てくれまして久しぶりの出会いでした。叔父は、もうずっと剣道 ひとすじの人生で、いつも元気な姿を見せていてくれたのですが、「もう80 歳になったよ」と言っています。9段に昇進したのが、つい何年か前のことで、 そのときの苦労(剣道で9段になるというのは大変なことのようですね)がテ レビで放映されたようです。 でも、こうして集まりますと、みな茨城人でして、そのときの話を娘たちに しますと、いつも大笑いです。今回は、聞いていたおはぎが「パパ、その話を ホームページで書きなよ。絶対に受けるよ」というのです。その通りだと思う のですが、なんだか「茨城人を馬鹿にしている」というような誤解を受けるか なと思って、躊躇しています。私は父も母も、茨城人ですから、「これはやっ ぱり茨城の血だな」と思うことが多々ありまして、それはけっこう面白いお話 なのですが、やっぱり「誤解」が怖いのです。 ある会社で、私もよく知っている女の子が、茨城人の真似をして、面白おか しく、言葉とかしぐさを演技していましたら、そこの取締役である上司が、 「何で茨城人を馬鹿にするんだ!」と怒ったそうです。だからね、やっぱり躊 躇するよね。そんな気はないし、第一私自身が茨城人なのですよ。 でもやっぱりいろいろと面白いから書いていきたいな。きょうは日曜日(2000.04.09)
きょうは、朝起きてパソコンに向かいながら、「さてさて、きょうはあそこ とあそことあそこへ直行して、それから午後は○○へ行くか」なんて考えてい ました。「1日休みたいなあ」なんて思いもありした。ところが、さきほど、 私が「ブルータスはもう行ったのか。夜はまたバイトか。月曜日なのにあいつ は大変だな」と言ったら、妻に言われました。 きょうは日曜日よ。毎日花見でおかしくなっているんじゃない? たしかに私はきょうは月曜日で、もうすぐ出勤だと思い込んでいました。長 女のおはぎにも、私の別の発言で、 パパ、大丈夫? 長生きしてね。 と言われてしまいました。 いやはや、私は疲れているのかな。妻に「もう少し眠ったら」といわれて、 そうはいなかないよ。 と応えた私です。日曜日なら、それはそれでやることがいっぱいありますね。姪の結婚(2000.04.15)
本日午後から、私の姪(弟の長女)の結婚式です。シホちゃんといいます。 私は3人兄弟で、兄のところに女の子1人、私のところが女の子2人、弟が女 の子2人で、この5人はとても仲がいいのです。小さいときから、よく5人で 集まって仲よく遊んでいました。普段は、私とは遊んでくれる小さいブルータ スも、5人で遊んでいると、私がそこに参加しようとしても、「パパはあっち へ行って」と追い払われたものでした。5人で「無人島ごっこ」なんて言って 遊んでいるのが、とても愉しかったのでしょう。無人島で食料(実はおかしや 果物)を懸命に蓄えて、少しずつ食べているのに、パパが来てはいけないので しょう。
この写真のように5人の従妹で仲好く遊んでいたものです。
シホちゃんに初めて会ったのは、生まれてばかりのときに、私の母と父の実 家にいたときです。小さくて可愛いてすぐ泣く赤ちゃんでした。それから調布 の家に帰って、私は最初のおひな祭りに、可愛いひな菓子をあげたのですが、 そのあと電話したときに、小さな声で「おにいちゃん、おにいちゃん」と言っ てくれました。 そのあとの思い出は、妹のカナちゃんが生まれるときに、また父の実家で会 いました。そのときは、私の長女のおはぎが生まれたばかりで、シホちゃんは 目をまんまるくしておはぎと遊んでくれました。シホちゃんは、カナちゃんが 生まれてくるときは、お母さんと離れているのが悲しくて泣いてばかりいまし たが、妹が生まれて来たときには、それこそ大きな目をもっと見開いて驚いて、 そして感激していました。泣いてばかりいたシホちゃんもお姉ちゃんになって、 妹のことを懸命に世話するようになりました。 それから、弟の家族が同じ我孫子に引っ越してきて、初めてその家に行った ときに、近くの公園の大きなブランコで遊んでいるシホちゃんを見ました。大 きなブランコを小さなシホちゃんが激しく動かしていて、それはそれは私は心 配になったほどです。「あ、やっぱり弟の子どもだなあ。俺なんか子どものと きに怖くてブランコなんか、たいしてこげなかったものな」。 いつもいつも私たちは兄弟の子どもたちの運動会には、参加していました。 ただし兄は態度が悪く、自分の娘でも、まともに見学に来ませんでした。それ が幼稚園(うちの子は保育園)から小学生になって、中学生になって、高校生 になって、大学生になって、そして社会人になって、そして結婚です。 私が二日酔い(徹夜で飲んで、また朝から飲んでいるという文字通りの、二 日目も飲んでて酔っている)で、父の実家に来て、寝ていると、兄の娘のみい ねえとシホちゃんと二人で、「周ちゃん、起きなよ」と手を引っ張ってくれた のをよく覚えています。あんなに私と遊んでくれようとしたんだな。 それから、ここ何年かのことですが、私が携帯電話にワンタッチだかツータッ チの短縮電話で弟の電話番号を記憶させていると、私がよく酔っ払って間違え ます。弟の家では、何故かシホちゃんの部屋の電話が真っ先に鳴るらしくて、 かなり迷惑をかけました。 シホ「はい、萩原ですけれど」 周「ハイ、パパです。パパだけどサ……………」 シホ「え、パパって、萩原ですけれど」 周「え、シホちゃんじゃないの? なんでウチにいるの?」 シホ「また、周ちゃんだ。うちのパパは下で寝てます」 なんてことで、何度も何度も迷惑をかけました。ごめんね。シホちゃんは仕事 が朝早い出勤だったから、何度も迷惑だったことでしょうね。でも結婚したら、 もう間違い電話はありませんよ。 なんだか少し哀しいな。淋しいな。でもでも、おめでとう。 それとサ、本日の結婚式では、私は吟えないのだよな。私は冠婚葬祭(つま り葬式でも)では、必ず詩吟をやるものなのですが、私の親族では、「お前が やると、まとまるものも壊れる」とやらせてもらえません(実は葬式だと無理 やりやったことがありますが)。一つには、私の兄が詩吟の栖山流の宗家です から、私の出番はないのです。きょうも、弟の尺八の伴奏で、兄がなんかやる んだろうな。間違いなくやるんだろうな。 さきほど、おはぎとブルータスが出かけるときに言いました。 パパッ! シホちゃんの結婚式で詩吟をやっちゃだめだよ。せっかくの おめでたい席が壊れちゃうからね! と言うのです。 そうねえ、それなら詩吟じゃなくて、「海ゆかば」か「ワルシャワ労働歌」 でもやろうかな。今夜はみな夜更かし(2000.08.17)
我が家は昨日、次女ブルータスの友だちの女の子が来まして、それでみな何 故か夜更かしです。彼女は何故来たかといいますと、パソコンを使いに来まし た。それで、次女もレポートを打っていまして、11時半頃帰ってきた長女お はぎもパソコンで指導案を打っていまして、夜1時半をすぎてから印刷になり まして、長女の場合はたった今終わりました。 それで4時前に妻もおきてきまして、我が家は賑やかなことです。 これで明日も(つまり17日きょうだけれど)、仕事に出る気なのだけれど、 疲れちゃうよな。私のドジなこと(2000.10.07)
私の長女おはぎが、東京都の教員試験に合格しました。 私は当初は娘が教員になるなんて、あんまりすすめる気はありませんでした。 だが、娘のプールの指導員での働きぶりを見ていますと、そこの子どもたちへ の接し方から、「これは教員に向いているのかな」なんて思えるようにもなっ てきました。 今ちょうどおはぎは、きょうで終わります教育実習での中学のクラス全員の 似顔絵を一人一人に描いています。小学校へ行ったときにも、懸命に描いてい ましたが、子どもたちは喜んでくれるでしょう。 おはぎは東京都の教員試験を受験しました。おはぎは美術の教員を目指しま す。東京都は、美術と音楽に関しては、共に専科ということで、小中学ともに、 その教員は、その科目のみを教えることになります。他の県では、私たちの時 代と同じで、小学校では、一人の先生が全科目教えます。 それで東京都を受験したのですが、1次試験に合格しまして、2次試験が8 月に2日間ありました。この2次で、 フレックスタイム制度のメリットデメリットを述べよ という討論をさせられ、模擬授業をやらされ、面接を受け、そして美術の実技 があります。私はその内容を聞いていまして、「なかなかいいところ行ったみ たいだけれど、まあ倍率が倍率だから受からないだろうな」と思っていました。 この結果発表が10月3日でした。都庁に掲示するのと、インターネットで 都庁のホームページで公表するということでした。それが午前10時というこ とだったので、パソコンを見ていましたが、10時すぎても、何も出てきませ ん。変だなと思って、よくよく見ると、10時からの発表は都庁で張り出され るのだけで、インターネットは4日(実際には3日にも掲示されたが)からと いうことのようです。 それで、妻に電話して、その旨を告げて、私は都庁に行くことにしました。 西新宿の都庁へ行くのは、始めてだったのですが、とにかく急いで行きまし た。貼り出されてある都庁第二庁舎1階へ行きますと、何人もの受験者および 関係者と思われる人がたくさんいます。泣いている子もいまして、「お、大変 だな」という思いです。 いくつもの柱に、受験番号のみが張り出されています。たくさん人が群れて いるのが「小学校」の部のようです。おはぎは、「小中美術専科」です。最初 見たのが「補欠合格者」の面でした。 あ、ないなあ。やっぱり駄目か。 ということで、今度は「採用登録者」のほうです。でもやっぱりありません。 何度見直してもおはぎの番号はありません。 仕方ない、これでもう教員はあきらめて、別な仕事探すんだな。 という思いで、すぐ妻に電話しました。 でもたいへんに、がっかりした思いもありまして、とにかく「もう仕方ない よなあ」。 それで私は仕事に戻りまして、それからクライアントへ行ったりしまして、 もう娘の受験のことは忘れるようにしました。でも忘れられない。そんなとこ ろでした。 だがだが、ちょうど私は午後6時代の頃なのですが、お茶の水の丸善で、本 を買うためにレジに並んでいたところ、携帯がなりました。出ると、 パパ、ワタシ受かっているよ、インターネットで番号が出ている というのです。私はすぐ「折り返し電話するよ」ということで、すぐ電話しな おしました。すぐ店を出て、携帯で自宅へ掛け直します。妻が出まして、説明 してくれます。娘が実習から帰宅しまして、落ちたことを伝えますと、さすが に少し落ち込みます。二人で、そういうふうにがっかりしていましたところに、 おはぎの友だちから電話がかかってきました。「ワタシは落ちたけれど、おは ぎは受かったんじゃないの、インターネットであなたの番号があるよ」という のです。 もう私は焦りまして、とにかく急いで帰宅して、すぐインターネットで確認 します。たしかにおはぎの番号があるのです。 私はどうにも理解できないのです。これはきっと都庁のミスだなと思いまし た。私は4日の翌朝都庁に確認にいくことにしました。デジカメで撮って、イ ンターネットを印刷したものと比較して出して、都庁のどこだか知らないけれ ど、抗議することにしました。私には、そのときの見栄を切っている私が想像 できました。「一体、何というミスを都庁はするのだ」という思いですね。 でもでも、ミスをしたのは、私なのです。朝9時に到着して、昨日と同じと ころを見ますと、ちゃんとおはぎの番号が載っています。「あれ、きのうはど うして無かったのだろう?」 ようするに、私がドジなのですね。嫌になってしまいます。何人もの人に、 この誤報を伝えてしまっていました。申し訳ありません。 こんな阿呆な私で、これが親なのですが、おはぎは少しはまともです。ごめ んなさい。おはぎが教育実習を終わって(2000.10.15)
長女おはぎは6月に小学校で1カ月、つい先日に2週間の中学校での教育実 習を終えました。なんだか懸命にやっていました。 先週の土曜日、午後4時頃、「荷物が多いから○○まで迎えに来て」という ので、行くと、たくさんの花といろいろなものを持っていました。担当したク ラスの生徒が「お別れ会」をやってくれて、一人一人がお花を手渡しでくれた といいます。 そのクラスでの「お別れ会」の会場に入るときに、綺麗に飾りつけられてい る教室に入った途端、おはぎは号泣してしまったと言っていました。まあ、た しかに嬉しいでしょうね。 もう今でもけっこう前の小学生からは手紙も電話も入りますし、中学生のほ うからも電話がよく入ります。関係ない私が長々と話していたりします(だっ て、うちの子は二人とも自宅にいないことが多いのだから)。 昨日は、朝とてつもなく早くから中学3年生に誘われてつりに行っていまし て、そのあとは、また別な女の生徒さんたちと昼の食事をしていまして、その あとまた東京に出かけていました。自分の高校へ挨拶に行ったようです。 私はいつも、「お前、忙しいのなら、替わりに行ってやるよ」と言いまして、 とくに「酒の部」を替わってあげようとするのですが、なかなか果たせません。 でもいいなあ。みんないい子どもたちの感じで、私は羨ましいです。娘のピアスと私の刺青(2000.11.27)
ちょっと前になりますが、「周の掲示板」で、2年前に朝日テレビの北野た けしの番組に出たことを書きました。その中で、ピアスのことをいいました。 私たちおじさんは、若者がピアスをするのをどうしても許せないものだそうで す。私はその当時も「そんなのは、個人の勝手だろ」ということしか思いませ んでした。 ところが問題は、私の娘たちです。次女ブルータスがそのころ言ってきまし た。 パパ、ワタシ「ピアス」つけたいんだけれど、いい? 私はまさか、自分にこのことが降りかかってくるとは思ってもみませんでした が、まさか駄目だとはいう気はありません。私はすかざずいいました。 私「え、何、ピアスやるのかよ。だったらパパもやっちゃうぞ」 ブルータス「えッ、パパもピアスやるの?」 私「馬鹿いうな、パパはピアスなんかやらないよ、俺は背中に刺青入れる んだ」 ブルータス「!?」 私「背中にサ、北一輝の顔を入れるんだ。西川口に刺青の店があるから入 れちゃおう」 ということで、その北一輝の肖像を見せたものでした。北一輝が中国服を着て いるものです。 ところがつい先日、長女が言いだしました。長女は来年4月から東京都の教 員になるのですが、教員になったらピアスできないから、今やりたいのだそう です。 おはぎ「パパ、私ピアス入れるよ」 私「ええ、それじゃ俺は刺青いれよう」 おはぎ「入れれば、刺青入れればいいじゃない。私はピアスだよ」 ということになりました。私はいよいよ刺青か、そうすると、あの西川口の店 での会話を予想しました。私が北一輝の肖像を見せて、刺青師がけげんな顔し てるのを、 この人は「支那革命外史」という本を書いていましてね、そこでね……… なんて話だす私の姿です。 でも途端に、ずっと黙っていた妻がいいました。 妻「あなたが刺青入れるんなら、ワタシ離婚する」 私「ええ!」 私は妻に棄てられたら大変です。私もやりきれません。 こうして、次の日長女の耳にはピアスがついていました。そしてその2日後 次女のブルータスの耳にもピアスです。そのときブルータスの言ったことです。 ブルータス「パパごめんね。私もピアスいれちゃった。パパ刺青できなく て可哀想だね。でもママに棄てられちゃ大変だものね」 二人の耳にはピアスがついています。私の背中は何もありません。ひさしぶりの雪(2001.01.08)
昨晩は私の住む千葉県東葛地区も雪が降りました。ひさしぶりの雪です。夜 1時近くにアルバイト帰りの次女を駅まで迎えに行きますと、あちらから左右 に蛇行して歩いてくる人がいます。酔っぱらいかなと思うと、娘でした。娘は 雪が降ったのが嬉しくて、あちこちの雪を踏み締めていたのです。それから私 と二人で、あちこち雪の中を歩きました。もう一面の雪景色です。私も何故か 雪が好きです。秋田と札幌で育ちましたから、その子どものときの雪遊びが忘 れられません。もう20歳の娘ですが、「明日雪だるま作ろうか」などと二人 で興奮しておりました。けっこう大雪ですね(2001.01.27)
本当はきょう午後からでも会社へ出て仕事しようかなと思っていましたが、 あまりの大雪で日和ました。もっとも予想もしていましたので、自宅に仕事も 持ち帰っていました。木曜日夜に会社に泊まって仕事したので、疲れていまし て、金曜日夜には「もう帰らないとな」というところで、「明日出てこよう、 ただ雪降りそうだから、出てこれないかもしれないな」なんて思っていたのが、 当たりました。 でも長女のおはぎは元気に大学へ出かけました。卒業制作の最後の追い込み です。また帰ってこないかもしれません。次女のブルータスも出かけました。 みんな元気ですね。 でも、ブルータスは驚くほど早く帰ってきました。4時頃「ただいま」と帰っ てきたのですが、「雪がすごいね」なんて言っているうちに、妻が「あれ、ブ ルータスがいないよ」なんて言っています。 ブルータスはすぐに外へ出て小さな雪だるまを11個作っていました。もう 私は寒くてね、デジカメで撮っただけです。


私の長女おはぎがいよいよ大学の卒業の時期になってきました。彼女は美術
専修生なので、卒業の課題は、美術作品を制作することです。もう何カ月も、
たいへんに大きな造作物を作っていました。
以下の要項で行います。
1月30日(火)〜2月4日(日)
時間:10:00〜17:30
10:00〜20:00(金曜日)
会場 埼玉県立近代美術館 一般展示室 入場無料
(JR京浜東北線北浦和徒歩5分)
詳しくは、このホームページ内の「文教大学父母と教職員の会」のページの
文教大学教育学部美術専修卒業制作展
をごらんください。私にとっては懐かしい北浦和です。
また雪(2001.01.29)
また雪が降りました。次女のブルータスがまた小さな雪だるまを作りました。 上ににその写真をUPしてあります。目は小さな石で、口は紅い毛糸です。で も今ではもうすっかり融けて、たった今私が石や毛糸を回収してきました。 それからついでに、先日20日夜の雪の日に次女のブルータスの作りました 雪だるまをデジカメで撮ったものが以下です。

ええと本日の文教のは良かったよ(2001.02.01)
思えば、考えてみれば娘がいるわけで、でも良かったよ。
驚くほど感動の作品ばかりです(2001.02.01)
昨日「文教大学教育学部美術専修卒業制作展」へ行きました。もうなんだか 熱情溢れる作品ばかりで感動しました。 午後6時ころから飲んだのですが、これまた愉しくてよかった。圧倒的に女 性ばかりで、私はとても感激でした。私の隣にも前にも「あ、いい女ばかりで いいな」と思っていましたら、そのうち長女がきまして(おはぎはアルバイト で遅れてきました)、「パパ!、もう帰りなさい!」といいます。私はそんな いいがかりは、断乎はねつけて、娘から離れて飲んでいました。 でも全作品をデジカメで撮りましたが、みなの了解がありましたら、このホー ムページ上で披露します。 下はまたおはぎの作品
いやきょうはいろいろあります(2001.02.03)
昨日もそれこそ、あちこち走り回っておりましたが、最後はお酒を飲んでし まいました。本日もまた朝からパソコンの相談で、小田急梅ヶ丘に出かけまし た。 ところが、私の住む我孫子からは、電車で1本で、意外に近いのです。約束 の時間よりも圧倒的に早くついてしまい、仕方ないから、喫茶店で、パソコン を開いていました。メール書いたり、友人の掲示板に書き込んだりしているう ちに時間が過ぎます。 そのパソコンの相談というのは、Windows 98を再インストールすることで 住みました。 それから午後2時半に長女おはぎの卒業展の北浦和へつきました。本当は妻 と一緒に行って、妻の級友と会うはずでしたが、私が大幅に遅刻です。 次女ブルータスの友人たちに声かけられて、さらに長女おはぎが私を見つけ て声を掛けてきます。私は「おっす!」というと、 おはぎ「パパ、そんな大声をだすな! それよりママの友だちって、す ごい美人だよ」 私はもう大喜びで行きまして、挨拶しました。それでいろいろとお話して、 おはぎの同級生ともいっぱいお話して、そして、そして、これから、また別な 新年会です。 また腹いっぱい飲んじゃうのかな。
更新日:2004年12月08日