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1975年(昭和50年)
二十五時間目
 一日が二十四時間といたしまして、全部やってみると、一日二十四時間全部
それにとられてしまうかもしれない。そうしましたら、二十五時間目をつくれ
なければ、革命なんていうのはやるな、というふうになるわけですよ。つまり、
革命者というものがあるとすれば、それは、人がやることは全部やって、二十
四時間全部使われちゃったのなら、もうそれで仕方ない。そうなっちゃえとい
うことです。
 もし革命の部屋でも、文学の部屋でもよろしいんですけれど、そういうもの
が必要だったら、二十五時間目をどこかでデッチあげるよりほかない。デッチ
あげてそこでやられるより仕方ない。その二十五時間目をつくれるかつくれな
いかということが、革命の部屋は存在するかしないかということの、根本的な
課題になる、という考え方が僕にあります。
(1975.7.4埴谷雄高との対談 「文藝」1975.9に掲載 「意識革命宇宙」1975.
9.25河出書房新社に収録された)

   埴谷雄高が「死霊」の第五章を書きあげたときに行われた対談である。
  吉本さんは革命家の側ではなく、泣いている子どもを抱きしめる保母の側
  をとるという。それが二十四時間の側なのだ。だから革命というのなら、
  それらのことを全部やって二十五時間目をつくらねばならないのだ。だが、
  埴谷にははたしてこのことが判っているのだろうか。



 次女のばななが生まれたのは六四年です。妻が病弱だったこともあり、僕は
家事全般を手助けすることにしました。
 家事や子育てというのは社会生活であり、やって当然のことです。その点、
物を書くなんて余計な虚業ですからね。書きたければ二十四時間を社会生活に
使い、二十五時間目に自分の時間を作ればいいんです。
 だけど僕は、いつの間にか、二十四時間の中で執筆をするようになっってい
た(笑)。妻君からは嘘つきと云われます。これは僕に信念というものがない
せいです。森鴎外なんて立派ですよ。彼は軍務に携わりながら見事に余技のふ
りをして文学を両立させている。
(「家」の履歴書 2000.10.12の「週刊文春」に掲載され、「人生とは何か」
2004.02.10弓立社に収録された)

   私もいつもこの「二十五時間目」ということを考えてきました。仕事や
  友人や家族とのつきあいは二十四時間内にして、他のことは二十五時間目
  を作って、その中でやるということを決意してきていました。でもでも、
  なかなか実際には簡単にできないことなのです。そして私には、森鴎外よ
  り、吉本さんがこのことでも立派に思えています。


 二四時間、すべて仕事や生活に追われて、時間がないというときに、「俺に
は二五時間目があるんだ」と考える。そういうふうに発想転換するんです。そ
の「二五時間目」を使って、「局所にはめ込まれないように、物事を考えたり、
行動するんだ」というふうに、覚悟を決めるわけです。そうすれば「何か、で
きるかもしれないぜ」って思います。
(「超『20世紀論』下」2000.9.14アスキー)

  「時間と空間」は人間が自在にできないものだったが、今まずインターネッ
  トによって、距離とか広さというようなものは自在にできるようになった。
  問題が「時間」だが、これは吉本さんの言われる「25時間目」ということ
  で解決できることなのだと私も思うのです。


ほめ殺し
 でも埴谷さん、ほめ殺しといわれましたけれどね、なんとなく罪みたいにな
るような気がするんです。埴谷さんに、戦後派のブロックも含めて、ほめられ
たためにだめになった、というのはたくさんいるんじゃないでしょうか。ほめ
なければだめにならなかったんだ、だけどほめられたために、ということはあ
るんじゃないですか。だめになった、だめにならないというのは、それはどう
でもいいようなものなんだけれども、それでもって、形而上学的に、殺人しちゃっ
た、ということはあるんじゃないでしょうか。
(1975.7.4埴谷雄高との対談 「文藝」1975.9に掲載 「意識革命宇宙」1975.
9.25河出書房新社に収録された)

   そうです、まったくそうです。埴谷にほめられたために駄目になった部
  分はいくらもいると思う。いいかげんにしてほしいものです。埴谷によっ
  て駄目になり、死んでしまったひというと今高橋和己を思い浮かべました。
  これはいいすぎでしょうかね。


不可避性
 ただ、問題なのは、そのどちらの態度がいいのかということが、現在も、そ
してまた当分のあいだ問題になり得るとすれば、ぼくはそこにただひとつ入れ
たい媒介項、基本的な項目がある。それは、不可避性、ということばだと思い
ます。不可避性ということだけが、世界と個をつなぐだろうということです。
先ほどからの話のつながりで云えば、歴史的時間と個の時間をつがぐ契機は、
不可避性ということだろうと思います。ある社会がある体制をとるということ
も、ある個人がある経路で自己の時間を送るということも、その両方を媒介す
るのは、どうしても不可避性ということではないでしょうか。不可避的にそう
ならざるを得なかったからそういう社会体制になったんだとか、そういう生涯
を送らざるを得なかったんだとか、その契機をぬいてはいけないんじゃないか。
世界を理解することが世界を変えることだという場合、単に理解にどどまって
はいけない、実践的契機をもたなければいけないという考え方と、いやその理
解そのものが人間における歴史的知識の実践にほかならないという考え方と、
そのどちらがいいのかという場合、不可避性をぬきにしては、個人的な契機と
しても、歴史的な契機としても、なにも解き得ないじゃないかと思います。
(「現代思想」1975.4青土社、のちに「思想の根源から」1975.6.20青土社に
収録された)

   これは、「現代思想」の編集部の問いに答えた「歴史と宗教」というイ
  ンタビュー集での吉本さんの答えである。その問いとは、「世界を理解す
  ることが世界を変えることであると同時に、世界を変えることが世界を理
  解することでもあるように思われます。もし可能であるとすれば、政治的
  実践はどのように可能でしょうか。どのようにでも可能であるとすれば、
  人間は責任ある存在としては歴史にかかわり得ないということにならない
  でしょうか」というものでした。すなわち、この問いとは当時私たちが、
  一番論じていたことではないでしょうか。この私こそは、「世界を変えよ
  う」とすることこそが「世界を理解する」ことであるという主張の持ち主
  でした。
   そして今この「不可避性」という媒介項を入れないとならないという吉
  本さんの言葉を読みますと、なんだかあの時代も私の前に解けてくるよう
  な思いがします。何もかもが避けようのない、「何か」の中で突き進んで
  いたんだよなあという思いなのです。


折口の詩
 折口の詩は、学問的な業績や歌業に比べたら、いちばん拙いものである。近
体の詩の歴史の傍に異様な黒衣をまとって佇んでいるといった以上の評価をあ
たえることは、とてもできそうもない。ただ、「釋」を名のっても、心に乞食
の風態を装ってみせても、みじめに肉親にうとまれた幼児を、自虐によってか
えりみても、折口がじぶんを神話的な英雄に擬して、その自己同一化を詩につ
くり、生涯を貫いたことは変わらなかった。
(「現代詩文庫・釋超空詩集」解説1975.5思潮社 「初源への言葉」1979.12
青土社に「折口の詩」として収録された)

   折口信夫はヤマトタケルに自分を同化したかったのだろうか。父たる景
  行にはなりたくなかった。倭健は剣を身に着けた乞食者で諸国をまわった
  英雄である。父たるものにならず白鳥になった倭健に折口は生涯なりたかっ
  たのだろうか。それにしてもいつも吉本さんの解析には目を見張らされる。
   私が折口信夫に初めて接したのはいつだったろうか。……たしか高校1
  年のときに、「全集」の神道に関する論文を集めてあるのを読んだときだ
  ろうか。そのあと、「口訳万葉集」を読んだ。ただただ驚いた。なんであ
  んなものが書けるのだろうか。折口信夫は万葉の心が判るのか(いやこれ
  はそのときには思えなかったかもしれません)。それから、高崎正秀、池
  田弥三郎、加藤守男などの折口信夫に関するものを読んだように覚えてい
  る。加藤守男「わが師折口信夫」は若い私にはかなり刺激的であったが、
  いままたそれらの内容の解明が吉本さんの言葉でできたように思う。倭健
  が熊襲のタケルを殺したとき、倭健は女の衣装を着ていた。それで折口信
  夫もこどもの時から、女の子の着物を着るのが好きだったという。
   景行天皇に疎まれた倭健……、折口はそれになりたかったのだろうか。
  「折口信夫と釋迢空って同じ人物なんだよな」なんて話したこともないの
  だ。折口信夫は偉大であり、かならずいつかはまた通らねばならない存在
  だが、釋迢空はこれからもあまり関心を抱いていくことはないだろう。
   それにしても、折口信夫は膨大だ。私はただそのまえでうつむいている
  だけでしかない。でもかならずいつか切り込んでいきたいと思っている。


1976年(昭和51年)
珠玉のような人たち
 ごく普通のサラリーマンであり、会社の同僚であり、また工員さんでありと
いった仲間の世界は、退屈なものと思うかもしれないが、そうではない。そう
いう世界に、ときには珠玉のような人たちがいる。そのたまらない魅力は、た
とえようもない。それらの人たちと、会社や上役の悪口をぐちりながら飲むと
か、「パチンコ」遊びをすることの愉しさは、経験のないものには、わからな
いだろう。珠玉のような人がいそうな文学者のほうが、ずっと下らない奴がお
おい。
(「『パチンコ』考」1976.7「王様の手帖」に掲載 「初源への言葉」1979.
12青土社に収録された)

   働くということで得られる愉しさといったら、こうしたことなのではと
  思ってしまう。たくさんの珠玉のような人たちに出会うことが出来る。そ
  してたしかにそうでない世界をとおくの方から覗いてみると、なんだかそ
  の下らない奴らの存在の多さになんだか身震いしてしまう。私もあの世界
  には関係したくないな。


スマート・ボール
 プロとなるためには、よく睡眠をとって疲労をさけ、できれば手の筋肉や足
腰を鍛え、開店と同時に、すばやくその店で儲かる台の前に坐る、という原則
が得られた。ただ、わたしはプロになれなかった。その最大の障害になったの
は、技術的なことではなく、じつに開店と同時に、その店で必ず儲かる台を占
領するという行為がたび重なる、気恥ずかしくて出来なかったということであっ
た。当時、わたしは呪文のように、堕ちよ、堕ちよ、地獄までと自らを励まし
ていた。しかし、へんな誇りとも自意識とも照れとも恥ずかしさともつかない
ものが、ほんのひとかけら残って、どうしてもふっ切れなかった。わたしは、
自分の倫理的な残渣に絶望した。これは、いまでもかなりな挫折感としてのこっ
ている。
(「『パチンコ』考」1976.7「王様の手帖」に掲載 「初源への言葉」1979.
12青土社に収録された)

   吉本さんはスマート・ボールはセミ・プロ級であったという。だがこう
  して挫折してしまった。失業中のことであったそうだ。しかし私たちには
  挫折してもらってよかった。だが実はいまもたくさんの挫折しなかった吉
  本さんがパチンコ屋で坐っているのかもしれない。


すべてを疑え
かれらのため
嘘言はすべて経典とよばれ
ヨーロツパでは聖なる約束の書とよばれた
信じたのが馬鹿だったのよ
いまでも女はいいつづけている
疑え  すべてを疑え
偉大な男はいまもいいつづけている
(視るとき」1976.11.20「ユリイカ」青土社  「吉本隆明新詩集第二版」1981.
11.1試行出版部に掲載)

  「すべてを疑え」とはデカルトの言葉であると同時にマルクスの言葉でも
  ある。だが私には、ソルジェニーツィンがある老革命家に言われた言葉を
  思い出してしまう。スターリンは間違っているが、レーニンは違うのでは
  というソルジェニーツィンに対して、帝政ロシアに対して最も戦闘的に闘
  い抜いた革命家がいうのだ。「疑え、すべてを疑え」。このとき、この二
  人とも革命ソヴィエトの牢獄に中にいるのだ。


1977年(昭和52年)
親鸞は橋が架っている
 本当の思想というものが、もしあるとすれば、国家として嘘をついていると
か、共同体として嘘をついているとか、組織として嘘をついているいるとか、
あるいは、じぶんとして嘘をついている、じぶんの内面に嘘をついているとか
いうことと、本当に正しいということとの間に橋が架かっていないといけない
とおもうんです。親鸞は橋が架かっている。橋が架かっていない思想はぼくは
信じない。正義なんて、ぼくは信じていない。正しいことを云うなんてやさし
いんですよ。理念的に正しいことを云うことはやさしいんですよ。人間は、そ
んなの、ちょっと教養、知識があればできるんですよ。ぼくはそう確信します。
しかし、そんなことたいしたことじゃないとおもいます。そうじゃなくて、嘘
をついていることと、正しい理念というものと、両方に橋が架かっていること
が大切なことで、それがなければ思想はゼロに等しいというのがぼくの考えで
す。日本の思想家の中で上代から現代まで全部含めていいのですが、親鸞だけ
が、程度はあるでしょうけれど、橋を架けているように思えて仕方ないので、
ぼくは学生のときから好きでした。けっして信仰者じゃないです。
(「『最後の親鸞』以後」1977.8.5真宗大谷派関係学校宗教教育研究集会にお
ける講演於東本願寺池ノ平青少年センター 「春秋」1977.12春秋社に掲載 
「信の構造吉本隆明全仏教論集成」1983.12.15春秋社に収録された)

   ただ正しいことをいうよりも、嘘をついていることのほうが多いはずな
  のだから、正しいこととの間に橋を架けなければ、その思想はもはや存在
  する価値はない。だが、正しいことをいっていればそれですんでしまうと
  いうような思想がなんと多いことだろうか。親鸞のこの姿勢はすべてに見
  えてくるわけなのだが、それだからこそ、いまでも生きている親鸞の思想
  なのだと思う。


橋を架ける
 橋を架けるということの意味ですけれど、現世流の言葉でいえば、じぶんの
主体的な思想として、少なくとも、じぶんが正しいことを云うばあいにはこう
いうかたちしかできないよ、というかたちで主体的に橋が架かっていなければ
ならない。つまりじじぶんの中で、嘘をつくじぶんと正しいことをいうじぶん
との間に、じぶんの中でよくかんがえられていなければならない。じぶんは、
ここのところは嘘で、ここのところはいつでもごまかしやすいんだなあという
問題が、主体的に突き詰められていなければならない。もうひとつは、理論的
にといったらおかしいでしょうか、理念的にあるいは教養的とに突き詰められ
ていなければならない。だからその三つの意味あいで突き詰められていなけれ
ばいけないとぼくはおもいますけれどもね。
(「『最後の親鸞』以後」1977.8.5真宗大谷派関係学校宗教教育研究集会にお
ける講演於東本願寺池ノ平青少年センター 「春秋」1977.12春秋社に掲載 
「信の構造吉本隆明全仏教論集成」1983.12.15春秋社に収録された)

   これは私たち個々の内部でも鍛えられねばならないことだろう。ただた
  いへんに難しいことであるわけだ。常に正しいことを云い、自らも正しい
  と考える思想や人間はなにかうさんくさいところがある。だがこうした思
  想はいくらでも見かけることができる。


思想書として読むこと
 思想書として読むこと信仰の書として読むこととはどこが異うのか。ぼくは
思想として読むってことは、それが信仰にまつわることであれ、つまり宗教に
まつわることであれ、あるいは自然科学にまつわることであれ、また人文科学
にまつわることであれ、そのものの領域の内部にあらかじめじぶんを置かない
で、つまり、いつでも、宗教と宗教でないもの、信仰と信仰でないもの、信ず
ることと信じないこと、そういうことの境界を踏まえていることだとおもいま
す。それが思想にとっていちばん重要な態度だとおもうのです。(「喩として
の聖書」昭和52年8月31日日本YMCA同盟学生部主催・第5回夏期ゼミナー
ル 於・東山荘 「大学キリスト者」第63号昭和53年5月10日刊掲載。「言葉
という思想」弓立社昭和56年1月30日刊に収録。「<信>の構造2吉本隆明キリ
スト教論集成」春秋社1988.12.25に収録)

   聖書とくに「マルコ福音書」を信仰の書としてではなく、思想の書とし
  て読むということが重要なのだと述べているわけです。とすると吉本さん
  は「歎異鈔」も「教行信証」も信仰の書ではなく思想の書として読んでい
  るということなのです。これはたしかに重要な態度ということが、マルク
  ス主義を信仰してしまった多くの人たちを目の前にするときに判ってくる
  わけなのです。


新約書はいやな言葉において優れている
 新約書というのは、いやな言葉において優れているのです。それが、聖書の
思想のいちばん大切なところだとぼくにはおもわれます。同信者とか同志とか
でも、人間はギリギリに追いつめられていったばあいには、そこでたいがいに
背反したり矛盾したり、裏切ったりすることはありうる、だから、もし、人を
信じるとか、なにかを信ずることがあるとすれば、肉体を信ずるような信じ方
は本当の信じ方ではないと云っていると理解すればできます。そこはたいへん
なところではないかとおもわれます。
(「喩としての聖書」1977.8.31日本YMCA同盟学生部主催・第5回夏期ゼミ
ナール 於 東山荘での講演 「言葉という思想」1981.1.30弓立社に収録され
た)

  「新約聖書」をよく読むようになって、いつもそのつらい表現の内容にひ
  きつけられてしまいます。イエスはかなりつらい目に会っています。そう
  いう目に会わせるのは、ローマやユダヤの民衆というよりも、彼の家族や
  故郷の民であったり、彼の弟子たちの言動なのです。そういうシーンをそ
  のまま表現している聖書にこそ引き付けられるのです。


やはり信じきれない存在
 イエスがじぶん自身を信じきれないで死んだことを、普遍的にいい直せば、
人間はじぶんでじぶん自身を信じきれるか、信仰のあるなしとは別に、生き方
としてじぶんでじぶん自身に問うばあいに、じぶん自身を信じきれるかといえ
ば、やはり信じきれなかない存在なのだということでしょう。千年に一度しか
出現しないそういう人も、やっぱり信じきれなかった。人から問われるという
ことでなしに、また人から非難されるとか批判されるという意味でなしに、じ
ぶんがじぶんに問うたとき、じぶんがじぶんに対面したときに、じぶんを信じ
きれるかという問いにやっぱり信じきれないよというふうに、マルコ伝の主人
公は描写されています。それから、その主人公自身もやっぱりこういうふうに、
じぶんを信じきってないということ、そういうふうに自分自身かんがえているっ
てこと、そのことの描写がやはり、また思想だと思われるのです。
(「喩としての聖書」1977.8.31日本YMCA同盟学生部主催・第5回夏期ゼミ
ナール 於 東山荘での講演 「言葉という思想」1981.1.30弓立社に収録され
た)

  これはイエスが最後に「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタマ(神よ、神よ、
  なぜわたしを見捨てるのかの意味)」と叫んだところを描いています。イ
  エスもまた、近親者や弟子のことを信じきれなかっただけではなく、最後
  にはじぶん自身をも信じきれないのだということをさしているのです。私
  はこのイエスの最後の言葉の意味がよく判りませんでした。だが、この吉
  本さんの言われることで、よくよく理解できた気がしています。



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更新日:2005年03月07日