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「ブリーフをはいたオカマ」
 もう何年か前のお話です。
 私が夜12時を過ぎてからよく行くゴールデン街の「オハラ」という店で、
ときどき会うオカマさんに「桃ちゃん」という人がいます。彼は「狸御殿」と
いう有名なオカマバーで「桃奴」という名前でいるオカマさんです。たいてい
豪華な着物姿で頭は桃割れのカツラをつけていました。彼は自分のお店の勤め
が終わったあとに、「オハラ」に2時か3時に飲みにきます。
 ただ「オハラ」の客の中には、「オレはオカマなんて、嫌れえなんだよ」な
どという人がいて、そういう人と言い合いしている桃ちゃんは少し私には可哀
想でした。桃ちゃんも口では負けないのですが、仕事が終わって、仕事あがり
の一杯というところなのに、面倒なことだったでしょう。私はゲイには一切偏
見も差別観も持っていないので(ということは、別なことには偏見があるかな)、
相手がオカマだろうがレズだろうが、同じ態度で話します。同じ態度というこ
とは、和やかに話もするし、からんだりすることもあるということです。だか
らなのか、私とはけっこう仲良くなりました。
 あるとき、この「オハラ」で日曜日の朝6時頃になって、「もう店を閉める
よ」ということで、「帰るかな」というときに、桃ちゃんから、「ワタシの家
に来て飲まない」と誘われました。「いいよ」ということで、私と二人で歩い
て行きました。歌舞伎町裏の大久保のホテル街を抜けて歩いていきます。もう
朝日がサンサンと照る中、派手な桃割着物姿の桃ちゃんはしゃなりしゃなりと、
私を連れて歩いていきます。行く道には桃ちゃんの知り合いがけっこういて、
みんなに挨拶して歩いていきます。
 大久保のホテル街をすぎたあたりで、このまま家に帰っても食べるものが特
別にないからと、朝からやっている定食屋に入りました。とても綺麗なお店で
す。ここで「もっと腹一杯食べろ」というようなことを桃ちゃんに言われます
が、結局二人でビールを飲み続けます。店の人も桃ちゃんのことはよく知って
いるようです。
 けっこう飲み続けたあと、やっと店を出て桃ちゃんの家に向かいました。歌
舞伎町風林会館から歩いて10分くらいに、桃ちゃんのアパートはありました。
私たちの学生時代に住んでいたようなアパートです。
 部屋に入って、「服脱いで楽にして」というので、私はそのとおりにします。
桃ちゃんも着物を脱ぎ出します。まず帯を解いてじゅばん姿になって、カツラ
を取ります。
 ……なんと、そこには頭が薄くなった初老の男の顔がありました。うーん、
かなりな驚きです。そうか、それで着物姿でないパンタロン姿のときなんかも、
必ず帽子をかぶっていたんだ。そして桃ちゃんはだんだんと脱いでいきます。
しかし、最後にどうしてか桃ちゃんは何と、下着が白のブリーフだったのです。
私はすかさず強力に言いました。

   男なら、下着はふんどしでなきゃ駄目だよ、少なくとも柄パンならまあ
  いいけど、ブリーフは誤謬だよ

 桃ちゃんは突如「しまった」という顔をして、

   私だって、普段はブリーフなんかしていないのよ。きょうはたまたまな
  のよ。いつもは女パンツはいているんだけどね……、でもこれの方が楽な
  のよね

それで、私はやっぱりブリーフは誤謬で、本来はふんどしであるべきだと主張
して私の下着を見せました。
 さてさて、そんな馬鹿な会話を続ける中、またビールを開けて飲み出しまし
た。桃ちゃんのいろいろな話を聞きました。私が昔の左翼活動家らしいと気が
付かれていたので、そんな話もしました。彼にもあの時代は印象深かったよう
です。彼の年齢だと、オカマなんて存在は生まれ故郷にいるわけにはいかず、
東京新宿に必死に出てきたようです。そしてオカマ一筋の人生だったわけです。
彼は彼でいわば自立して生きてきたわけで、その中にはいうにいわれぬ苦労が
あったようです。金にまかせて、自分の身体の上を通りすぎていった男たちの
ことは、悔しいから忘れられないなんて言っていました。
 そんな会話で私たちはまたまた、しばらく飲み続けていたのでした。
 今でもときどき真夜中に桃ちゃんと出会います。まだまだ元気に頑張ってい
ます。またまたオカマを毛嫌いする何人かの客と言い合いを続けています。私
は隣に座ることがあると、「桃ちゃん!」と声をかけます。桃ちゃんはすぐに
は私のことを分からないのですが、私が詩吟や軍歌をやったりすると、思い出
してくれます。そんなときの桃ちゃんはいいなあ。やっぱり桃ちゃんに乾杯し
たいです。                                  (1997.03.16)




西郷南洲のことで
 つい先日のことです。私はある飲み屋のカウンターで一人で飲んでいました。
ママとインターネットの話を静かにしていました。そこへ3人のグループがやっ
てきました。私の隣へ座ります。前の飲み屋で話した続きの話をしているよう
です。
 ママとの話で、最初は隣の話は気になりませんでした。でもだんだん私は気
にかかり出しました。私のすぐ隣に座った人が次のようなことを言っているの
です。

   私の故郷の庄内藩のことは、官軍も恐れたのか、攻めて来なかったんだ。
  また、秋田というところは変わっていて、奥羽列藩同盟には加わらず、最
  初から官軍方だったから、そことは戦争したが、秋田藩を助けに来るはず
  の官軍も庄内藩には手が出せなかったんだ。

 このような話を延々としています。聞いている彼の友人は感心して聞いてい
ます。そんな昔のしかも秋田県の小さな庄内藩のことなんか知らないとが当然
なのでしょう。でもだんだんと私は我慢できなくなりました。
 私はついに声をかけました。

   そんなの嘘ですよ。庄内藩は別に強かったわけでもなんでもないじゃな
  い。ようするに、西郷南洲隆盛に助けられただけじゃないの。違うかい?

この私の言葉で、彼は「え、よくご存知で」と声をあげました。そのあとは私
の独壇場です。

   秋田は佐竹藩であり、関ケ原のときからの幕府との遺恨があるから(こ
  れをあとで細かく説明した。しかも頼朝の時代のときからの佐竹の立場を
  解説した)、当然最初から官軍方であり、庄内藩は京都にも出兵していた
  佐幕派であり、官軍が攻撃に来るのは当然だったのだが、それを西郷は寸
  前で止めてくれたから、庄内藩および庄内の人は西郷のことを感謝するこ
  とこそあれ、あなたのような嘘をつくのはないはずではないのか。
   それに西郷のことは庄内の人はずっと慕っているはずだ。あなたも、小
  学校でもそのことを習ったのではないか。庄内藩では西郷がいかに偉大か
  という本も作っている。かの西南戦争のときにも、庄内藩の人で遠く西郷
  軍に参加して亡くなった人もいるではないか。

 西郷という人はとてつもなく魅力のあった人のようです。それは鹿児島の人
たちだけではなく、戊辰戦争で敵であった東北の人にも、この庄内藩の例のよ
うに慕われています。
 でも、その庄内藩の人とその友人たちは、私のしつこい話と、西郷の漢詩を
細かく述べたりしていくことに、なにか異常性を感じたのか、そのうち帰って
しまいました。もう少しいたら、西郷南洲の詩をいくつも吟ってあげたのにな
あ。                                            (1997.04.05)




この暮の飲み日記
 年をとったせいか、酒を飲む機会が少なくなった私なのですが、そんな私の
この暮の飲み日記を書いてみましょう。
 以下は、ゴールデン街の「吐夢」のママに出したメールです。

 返事が遅くなり申し訳ありません。
 実はけっこうゴールデン街には行っていたのよ。

>お久しぶりです。2週間ほど店休んでしまいました、
>12月なので今日退院したのですが店に出ます。
>お顔お出しくださいお待ちしています。

 11月30日(土)に「吐夢」へ行ったでしょう。あの日も結局深酒してし
まいましたが次の日は、長女のパソコン設定がありまして、それで朝自宅へ帰っ
てまた娘のアパートまで行きました。
 30日に次の月曜日にTさんと飲むと言っていたでしょう。
 12月2日に、私の両国のクライアントの社長とTさんと神田の「いせ源」
で飲みました。けっこう飲んだあと、Tさんに「吐夢のママが会いたがってい
るよ。これから行こうよ」と言ったのですが、「俺は行かないよ」ということ
で、それでも私はゴールデン街に向かいました。でもどうしてか「吐夢」が閉
まっています。
 それで「ひしょう」に入りましたら、何故かKがカウンターにいました。
「そうだよ、吐夢がやっていないんだよ」と言うので、私も「そうだね、どう
したんだろう」なんて言っているところに、同じく埼大のTA君がきました。
この3人は前週の28日に「長谷ゆり子の出版を祝う会」で会っていました。
 それで飲んでいたのですが、実は私はこのTA君にことを、半年くらい前に
「ひしょう」で殴っていました。それは理由があるのですが、とにかく私がよ
くない。なんだか私は上の「祝う会」でも謝ったのですが、ここでも謝ってい
ました。それで、Kが帰るというので、3人で外へ出ましたがTA君が「萩原
さん、もう一軒飲もうよ」といいます。そこで彼の案内で「花の木」へ行きま
した。私も昔入ったことのあるお店です。
 ここでけっこう飲んで(あとの日にここのママから聞きました。なんでも私
のことを「左翼と紹介されたけれど、話も雰囲気も右翼の人みたい」と言って
いました)、それで二人で店を出ました。
 でも私はさらに、「がぼちゃ」へ入りました。ここでも、顔見知りと会った
ようですが、あまり記憶がありません。
 そのあと事務所へ帰りました。だがPHSがないこととコートがないことに
気がつきました。「どこへ忘れたんだろうか」
 3日(火)は午後から川口のクライアントへいきます。そこで仕事をして、
事務所へ帰ってきました。帰る電車の中で、携帯に電話が入ります。電車の中
なので、降りてから留守録を聞きますと、「花の木」で働いている若い男性が
私のPHSが店に落ちていたということでした。店が始まっただろう時間に、
私のほうから電話をいれまして、お礼をいい翌日4日にとりにいくことを伝え
ました。当日は自宅に帰らないとならなかったのです。
 翌4日(水)に中村屋のケーキを買って夜8時40分に「花の木」に入りま
した。どうしてかこの日も「吐夢」は閉まっていました。「どうしたのかな?」
「花の木」で改めてお礼をいいました。PHSは戻りました。ついでにコート
を聞くと、ここには置いてありません。じゃ、別な店だなということで、しば
らく飲んで店を出ます。でもそのあと「かぼちゃ」でも「ひしょう」でも、私
のコートはありません。「タクシーに忘れたのかな」。でもでも、この日もよ
く飲みました。
 12月6日(金)は、高輪の飲み屋で飲んでいました。ここのお店のおばちゃ
んがいつも私の顔見ると、何故か喜んでくれるところです。けっこう飲みまし
て、何故かまた深酒して、事務所に泊まるはめになります。
 翌朝7日(土)自宅へ帰りまして、また夕方「プロジェクト猪」の忘年会で、
飯田橋に出てきます。そしてそして、また「ひしょう」で2次会です。タクシー
でゴールデン街に向かいましたが、真っ先に「吐夢」を確認しましたが、まだ
「閉まっています」。
 この2次会の「ひしょう」でたしか、仲さんに流しをやってもらったと思い
ますね。
 それで、お竜さんが来て、私のコートを出してくれました。たぶん2日にこ
こに忘れていたのでしょうが、お竜さんが気が着かず、店の若い女性が気がつ
いたようです。私のコートを紙袋に入れて手渡してくれました。
 だんだん、2次会の皆も帰りましたもので、私も出て、「花の木」へ入りま
した。コートが見つかったことを報告したかったのです。
 だが、コートを紙袋に入れていたせいか、記憶が戻ると(事務所にいました)
またコートがありません。
 翌週9日(月)に午後9時少し前にゴールデン街に入りました。「吐夢」に
灯がついていました。「あ、良かった、あとでこよう」ということなんですが、
まずはコートが必要です。「花の木」に入ると、ママは、7日には、「コート
が見つかった」と言って、紙袋を見せて、最後はそれを手にして帰ったといい
ます。「ああ、どうしたんだろう」

 かくして、こんなことばかりやっていました。
 このあとも、この週は11、12、13、14日と連続で圧倒的に飲んでい
ました。13日には午後10時くらいから「三上治の世界のオフ会の2次会で
「ひしょう」で飲んでいました。さすがに15日の朝6時頃、やっと前日から
の浦和会が北浦和で終わりました。
 そしてそしてそのあとも続いています。ただし、あまりに11月から12月
前半にゴールデン街で飲んでいましたもので、その後は他の街で飲んでいます。
 またいきますね。

 なんで、以上のことを書いたかというと、さすがこの年になったのに、「少
し飲みすぎかな」という思いがあり、その記録をこうしてとって置こうかなと
思いました。こうして書いておかないと、すべて忘れ果ててしまいます。
                       (2002.12.24)



ブロークンな人
 前に、私の掲示板で、私の英語力のなさを指摘してくれた方がいます。それ
に対して私の答えたのが次のような内容です。

>表紙ページには「ぜひ上のMEMUをクイックされて」と書かれていますが、
>それは「クリック」の間違いではないでしょうか?

 まったくその通りです。ただ私の英語はなまっているものですからね。なお
かつ私はあんまり英語が得意ではなく、よくわかんないのですよ。
 大昔、たしか私が大学6年のときに、私の当時の彼女が相談してきました。
彼女に惚れた男がいるらしく、「私には彼氏がいるの」と言ってもきかないよ
うなので、私が会うことにしました。私は大学の食堂で待っている彼と私の彼
女のところへ行きました。

  私「ナニ、キミ、この女に惚れてるの? 惚れているんなら、おおいに
    頑張ればいいじゃないか。ヤレ! ヤレ! まあ、なんでもいいけど
    サ、やってみろよ」

 彼は最初驚いた顔をして、かつ次のようなことを言いました。

   彼「あなたは、とてもブロークンな人だ」

 私は嬉しくなって、「頑張るんだね」と行ってそこを去りました。
 私の彼女が来て、怒ったような顔をしています。怒っているのは、その彼に対
してです。そして、「何喜んでいるの?」といいます。

  私「いや、思っていたよりもいい奴じゃないか」
  彼女「なんで?」
  私「だって、俺のことを『ブロークンな人』だなんてな。ブロークンって
   ブロックの形容詞形で、要するに、『あなたは、たいそう堅い、筋の通っ
   た立派な人だ』って言ってるんだろう」

 ここで私の彼女は呆れて、このブロークンの意味を教えてくれました。

  私「え、なんだ、アイツはやっぱり悪い奴じゃないか」

 もう、この彼は、私の彼女には言い寄ってこなくなりましたが、この話はまた
たくうちに伝わり(だって、私と彼女の話を仲間友人たちが聞いていた)、私は
しばらく

    ブロークンな人

と呼ばれるようになりました。
 私の英語力というのは、この程度のものなのです。(2003.05.26)




私はディズニーランドが嫌いだよ
 私は子どもたちがまだ小学校に入学していないころ、ディズニーランドへ1
度行ったきりで、その後はまったく行っていません。なんというか好きになれ
ないところなのです。昔このことについて、私の書いた文があります。

ディズニーランドが嫌いです

 私はディズニーランドが嫌いです。クライアントの会社の招待で、1回家族
と一緒に行きました。それでもう行きたいなんて思わないですね。妻や子ども
たち、とくに子どもたちは、もう何度もいっているみたいです。でも私は、あ
そこって遊園地という感じがしないんです。
 これからけなすんだから、まず少しほめておくと、最初かなりなわけの分か
らない投資だったでしょうし、あんだけの期間で赤字を解消し、しかも千葉県
にかなりな経済効果をおよぼしたオリエンタルランド、偉いなと思います。オ
リエンタルランドって、なんとなくみすぼらしい感じだったのだけど、それも
克服したようですね。立派です。
 でも私は好きになれないのです。浦安は山本周五郎の世界、「フーテンの寅
望郷編」の世界、いまも残るアジア的生産様式の世界でいてほしかった。
 いや住んでいる人には街が発展(?)したほうがいいのだとしても、私はこ
んなおじいちゃんと孫を想像しました。

  孫「おじいちゃん、○○ちゃんと『カリブの海賊』へ行ってくるよ」
  爺「いいよ、おじいちゃんここで座って待っているよ」
   おじいちゃんは、駆けて行く孫娘を見ながら、おもむろに風呂敷から、
  弁当箱とワンカップを出すと、静かに口をつけた。
   ───思えば、こうして米国にあるという有名な遊園地と同じ公園に長
  女と孫2人連れてくることができた。戦後必死に働いてきた甲斐があった。
  だってあんなに孫が嬉しそうな顔しているんだから。……………昭和19
  年あのインパール作戦の敗走のとき、泥をのみ、飢えをしのいで帰れてよ
  かった。イラワジ河で濁流のなか、何人もの戦友が流木に押し流されていっ
  てしまった。あいつらだって、本当はここで、孫たちが駆ける笑顔を見る
  権利はあるんだ。だけどほとんど帰れなかった。……………やっと船橋の
  大神宮下に上陸して、歩いて、故郷まで帰ったんだ。それからずっと働き
  ずめ───。
   また1つワンカップを取り出す。おばあさんの入れてくれた、煮物口に
  いれて。
  ───思えば、ばあさんにも苦労をかけてきたんだよな。きょうだって一
  緒にくればいいのに。まあ俺と歩くのいやだろうしな───。
   孫2人が駆けてくる。
  孫「おじいちゃん、いまピーターパンに会ったよ、写真とっちゃった」
  爺「ピーターパンか、よかったね」
  孫「こんどはおじいちゃんも一緒にいこう」
  爺「おじいちゃんはここで待っているよ」
  孫「おじいちゃん、お酒好きなんだね。じゃ待っててね」

というようなおじいちゃんの存在を、このディズニーランドは拒絶しているの
です。私公園のベンチでおとしよりがワンカップ飲んでるの見るの、大好きな
んですね。
 最初私が行ったとき、まさかレストランにはビールくらいあるのだと思って
いた。一緒にいった社長さんも「レストラン行けば、ビールくらいありますよ」
と言っていたが、まったく冗談じゃない。あれは公園の存在ってものを勘違い
しているんですよ。もう2度といくものか。
 では、私が好きなテーマパークっていうと、それは「日光江戸村」です。あ
そこなら普通にお酒が飲めます。     (1992.05.31)

フランスのディズニーではワインが飲める

 私のクライアントの2社でディズニーランドの話をしました。私は、

>デズニーランドが嫌いです(1992.05.31)

で書いたように、ディズニーランドが嫌いです。世界にはこのディズニーラン
ドが4カ所あるそうです。カルフォルニアと、フロリダと東京とフランス(パ
リかな?)だそうです。
 それでこのディズニーランドはどこでもお酒は禁止でしたが、このたびフラ
ンスではワインは解禁になったそうです。すなわち、フランス人がいうのには、
「食事のときワイン飲めないなんておかしい」という主張だったようです。そ
れが認められたわけです。
 でもそうするとおかしくないですか。日本だって、「食事のときに酒のめな
いなんておかしい」という主張があって当然です。どうしてフランスはよくて、
日本はだめなのでしょうか。フランスはアメリカ独立戦争を助け、アメリカに
自由の女神を贈ったから、特別待遇なのかな。それとも私たちが主張しないか
らいけないのかな。
 できたら、私はディズニーランド内で、酔っ払ったおじさんたち50人位の
隊列でデモンストレーションやりたいな。必ずマスコミ等々は、「非常識な中
年酔っぱらい」と非難するだろうが、そのデモンストレーションを真剣に激し
くやれば(すなわち、はげしくジグザグデモをやると、もう年とった私たちは
あちこちにゲロ吐いちゃうんだ)、「……でもよくよく考えてみれば、このお
じさんたちの主張も間違いとはいえないのじゃないか……」となるはずです。
いったい公園とか遊園地って何の為にあるのでしょうか。私は「ディズニーラ
ンドが嫌いです」で書いた、インパール作戦から帰ってきて、戦後必死に生き
てきたおじいさんの姿を忘れないのだ。
 私は私のクライアントで、「日光江戸村」を薦めてきました。一つの会社の
社長はそれで、こんどの日月曜日に鬼怒川へ行くことになりました。きっと江
戸村で走り回る子どもを見ながら、お酒を口にするに違いありません。
                      (1993.09.10)

 もっとも東京ディスニーランドで、お酒を飲ませないというのは、米国のディ
スニーランドの方針ではなく、あくまでオリエンタルランドのポリシーなので
しょうね。それはそれで仕方ないけれど、だから私はそれが嫌いだから、これ
からも絶対に行きません。
 それから、私が書きました、ワンカップを飲んでいるおじいさんというのは、
私の父と私の昔の彼女の父親をモデルとしています。私の父はビルマ戦線へ行
きまして、泰緬鉄道を建設しました。そのあと、千葉県茨城県の部隊が3つに
別けられ、一つはインパール作戦へ、一つはフィリピンへ、一つはスマトラ島
へ転進になりました。フィリピンへの部隊は輸送船が襲われ全滅でした。父は
偶然スマトラ島だったので、生きて還れたのです。
 私の昔の彼女のお父さんは、インパール作戦で運良く生きて還れたようです。
 こんなおじいさんが、孫の喜ぶ姿を見ながら、遊園地で酒飲むのは私はいい
ことだと思っているのです。                      (2003.07.28)




あなたは反共なんだよ!
 私が3か月くらい前に新宿ゴールデン街で話した内容です。
 彼は私と同じ歳で、ときどきその店で顔を合わせます。その日偶然隣同士に
なりました。もう二人とも前の店(二人とも3軒目)でしたたか飲んでいます
から、酔っぱらっています。

 彼「もう今大事なのは、昔の新左翼の諸君も、日共民青の諸君も、その他の
  活動家も、みな選挙で民主党に投票すべきなんだ」
 周「あ、私しゃ、どうでもいいよ」
 彼「そうしないと、自民党がいつまでも続くだろう!」
 周「俺、民主党なんて嫌いだしね。別に自民党だろうがなんだっていいよ」
 彼「そんなこと言っているから駄目なんだ、昔の気持はどこへ行ったんだ」
 周「私しゃ、選挙なんか、一度も行ったことがないよ」
 彼「………………………………」

 それで、しばらく彼は自分の連れの女性としばらく話している。また私のほ
うを向きます。

 彼「あなたのホームページを見ていると、たしかにすごいホームページだけ
  れど、…………あれはだね、要するに………………」
 周「うん、うん、ただしつこく毎日更新しているだけよ」
 彼「ようするに、あなたは、『反日共』じゃないよね。あなたは『反共』だ
  ろう! あなたは『反日共』じゃなく『反共』なんだ!」
 周「うん、うん、そうだよ」
 彼「あなたは、『反日共』ではなく『反共』なんだ!」
 周「そうそう、僕は反共なんだよ」
 彼「君は『反日共』ではなく『反共』なんだろう」
 周「だから反共だって言っているじゃないか。俺は高校生のときから反共主
  義者だよ。そもそも共産主義が大嫌いなんだ」
 彼「君は『反共』なんだよ!」
 周「だからサ、そんなに誉められても困っちゃうんだよなあ!」
 彼「ウッ……………………………」

 彼は真面目な人なのですが、なんだか古いセンスなんですよ。今時、「あな
たは反共だ」といわれて、ひるむ人がいるわけないじゃないですか。第一私は、
大昔から反共ですよ。
 まったく、こまっちゃうし、愉しい嬉しいことです。(2003.09.08)




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更新:2004年11月12日