| サイト内をGoogleで検索
|
現在の位置|TOP→MENU→周のガラクタ箱→周の政経塾→日本共産党を粉砕する!→日本共産党を粉砕する!2
浜田幸一「日本を悪くした7人の政治家」というのを少し立ち読みしたこと があります。あの中の「宮本顕治」のところのみ読んだのですが、実に読んで いて気持良かった。まさしく、共産党正森某との国会でのやりとりは、正森の 方が嘘と詭弁を言っているだけで、ハマコーのほうがまっとうなことを言って います。なんであのときは、ハマコーの方が、自民党以下国会勢力から非難さ れたのでしょうか。 そのうちにまたこの本も詳しくみていきたいと思っていますが、今回毎日新 聞のある囲み記事で面白いのを読みましたので紹介します。まったく日本共産 党というのは、いつの時代でも、いつになってもどうしようもない犯罪的な連 中ですね。 ******************************** [にっぽん診断書]第3部 永田町活断層/13 転進図れぬ共産党 1994.04.06 東京本紙朝刊 3頁 3面 ◇“冷戦”引きずり、深まる孤立 「共産党やめました」 宮本顕治議長の私邸があり、非公式ながら共産党が「特別」と重視する東京 都多摩市。多摩ニュータウンの中心にある私鉄駅前で、毎週火曜日の朝、谷健 一市議(48)が、こんな看板を背に通勤客にビラを配る。 谷氏は党歴二十九年。三年前、「赤旗」に模範党員として紹介されたことも あるが、「共産党規約の立場に立って活動することに意欲を失った」との理由 で昨秋、離党届を提出。三月一日、除籍処分を受けた。 党地区委からは「支持者への裏切り」として議員辞職も求められた。しかし、 前回(一九九一年)市議選で二位当選した時に原動力となった団地の支持者五 十人が、「共産党でなければもっと応援しやすいと常々考えていた」と後援会 設立に名乗りをあげ、議員を続けている。 谷氏は離党の動機を「違った生き方をしたい」としか語らない。後援会発起 人代表の萩原秀夫氏(61)が「谷さんの得票は、三分の二以上が共産党支持 者以外の票。地域の仕事に比重が移り、党活動と両立しなくなっていた」と代 弁する。 * * 共産党は「冷戦は終わっていない」と主張している。「冷戦終結→保革の対 立解消→共産党の存在意義消滅」の論理に対抗するため、前提そのものを否定 する論法。「冷戦とは米ソ対決だけではない。ソ連崩壊後、冷戦以来の世界支 配という米国の野望は強まった」との説明だ。 党文化・知識人委員会は、昨年十月二十三日、東京・西神田のパンセホール に党員研究者を集め会議を開いた。常任幹部会委員も出席、党中央が第十回中 央委員会総会で確認したこの否定論を徹底させる狙いだった。 だが、会議では若手研究者だけでなく、岡倉古志郎・元日本学術会議副会長 ら長老たちからも「学問的に無理がある」と異論が続出。「ソ連崩壊と言い換 えればいい」という党担当者の苦しまぎれのアイデアも失笑を買っただけで、 「主張は自由だが、党関係の仕事では冷戦終結の表現を遠慮してほしい」と要 請するのが精いっぱいだった。 学者対策として、共産党系の「新日本出版社」は「うちの刊行物では、冷戦 終結という記述を避けてほしい」と執筆者たちに注文を付けた。 * * 「冷戦終結」については当初、不破哲三委員長らも終結を前提に発言。地方 議会では「冷戦後の軍事費削減要求」決議を出す運動も進めていた。しかし、 九二年秋、「終結という表現は不適切」という用語指導が始まり、やがて「終 わっていない」へエスカレート。党中央は昨年十月下旬、全国思想建設部長会 議を招集して否定論の浸透を図り、『社会科学総合辞典』の「冷戦」の定義も 変更した。 一時は「赤旗」に「冷戦と米ソ対立は無関係」という論説まで登場する混乱 ぶりだった。 こうした党中央に対し、一般党員は困惑する半面、冷ややかに見ているよう だ。埼玉県のある市議は「党への支持は総保守化批判と住民利益擁護への期待。 冷戦論とは無関係」と言う。 共産党は、衆院選(九三年)で総数四百八十三万票を得た。参院選比例代表 (九二年)の三百五十三万票は日本新党と互角の得票数だ。これらの数字は、 共産党に寄せる期待の大きさを物語る。しかし、党中央の路線・指導が冷戦構 造を軸にする限り、一線の議員・活動家は党中央と支持者の板挟みになるしか ない。谷氏の離党も、このねじれの深刻さを象徴している。 「冷戦終結」否定論を指導したのは宮本議長と言われる。宮本氏が、丸山真男 元東大教授による三十八年前の「共産党の戦争責任」論を引き合いにして昨年 来、執ように続ける丸山批判には、党幹部も頭を抱える。 宮本氏が、九〇年の十九回党大会で議長引退の意向を固めていたことについ ては党内に複数の証言がある。しかし、直前の報道攻勢で姿勢を硬化させた。 「党の正統性と存在意義の根拠」とする党『70年史』は、五月の「赤旗まつ り」で宮本氏が発表する予定だ。「党史を花道に七月の二十回党大会で引退か」 との観測は強い。だが、二年遅れで練り上げた「正史」には、党外研究者から 旧ソ連共産党公文書の最新調査に基づく異論が早々に提出される動きもある。 「いつになったら冷戦構造から抜け出せるのか」。一線党員の迷いは続く。 毎日新聞社 ******************************** 丸山真男を応援する気はないが、日本共産党に戦争責任があるのなんか当り 前ではないか。野坂参三のように天皇制に完全屈伏し、逃亡して、またスター リンにも完全屈伏した男が永年議長だったのではないのか。一体彼は何人の同 志たちをラーゲリに送りこんだのだ。宮顕は今も小畑さんをリンチ虐殺したこ とを口をぬぐってだまっている。宮顕は治安維持法だけで戦前捕まっていたの ではないのです。宮顕は、 不法監禁致傷、不法監禁致死、不法監禁、傷害致死、死体遺棄、治安維持 法違反、銃砲火薬類取締法施行規則違反 で網走刑務所に収監されていたのです。そして無期懲役のところを、昭和20 年懲役20年に減刑されました。ところが、当時のGHQは政治的判断でさら に、終戦直後のドサクサの中で、この宮顕を釈放してしまいました。本来これ は不当なのです。確かに戦前の治安維持法によって投獄されていた人は釈放さ れて当然です。だが、宮顕の「不法監禁致傷、不法監禁致死、不法監禁、傷害 致死、死体遺棄」というのは、それにはあてはまらないはずなのです。 このことはまた少しずつ書いていこうと思っています。そして私は小畑さん のリンチ殺人事件に関しては、このごろ確信に近いほどの結論に達しています。 いつかはそれをはっきりいっていきたいと思っていますが、とにかくそんな宮 顕が議長であり、ナンバーワンの地位にいるのが日本共産党なのです。 それにしても、何とか日本共産党だってこの時代に変わらなくてはと考えて いるはずです。それが、この記事だとまたしても宮顕のひとり自分の為だけの 党にしたいがための画策で、これまた党全体が可哀想なことです。宮顕はもう おそらく自分の死後のことまで考えて、とにかく自分の歴史の上での正統性の みを形作っておきたいのでしょう。本当に判っていない、馬鹿な犯罪者です。 日本共産党員のひとりひとりが、もう宮顕はたくさんだと考えているはずです。 いったいあの男はリンチ殺人以外になにかやったのですか。思い浮ぶのは、 芥川龍之介を「敗北の文学」といったり、宮本百合子の夫ということくらいで しょうか。革命運動にも労働運動にも、いっさい関係ありません。選挙運動に しても彼の一番苦手なことでしょう。でなかったら、どうして参議院の全国区 でしか出ないのですか。実は、彼は昔衆議院議員に立候補したこともあるので す。当選は確実といわれながら、簡単に落選しました。当然です。あんな嫌味 な演説しかできない男は、党員でもその実投票するのが嫌になるのではないで しょうか。 もう彼等の最後になりつつある時代です。私は絶対に彼等を許すことはあり ません。たくさんのたくさんの顔を思い出します。リンチされ死んでいった小 畑達夫さん、6・15で国会南通用門で虐殺された樺美智子さん(樺さんを殺 したのは国家ではあるが、日共は彼女の死をさらに二重に殺したといえると思 います)、……。 また時々、日共を思い出し、腹をたてていくでしょう。(1994.04.10)「宮本顕治スパイ査問事件」の新事実(1994.06.23)
戦前戦後を通じての日本共産党の汚れた犯罪的な歴史が次第に明らかにされ つつありますが、やはりまたソ連の崩壊のおかげで、新しい事実が見つかった ようです。 題名 旧ソ連機密文書が明らかにした 「宮本顕治スパイ査問事件」の新事実 著者 加藤明、小林峻一、有田芳生 掲載誌 「文藝春秋」1994年7月号 日共は今年4月15日に「日本共産党の七十年」が発表されました。本来な らちょうど2年前に発表されるはずが、 水に落ちた犬を打て「野坂、議長を解任される」(1992.09.27) で紹介した文春の取材により、野坂を名誉議長から解任し、党史を急遽書換え ねばならなかったようです。私は以下のように書きました。 > この解任劇は、なさけないことに、日本共産党の大嫌いな文芸春秋の「週刊 >文春」の記事によります。「野坂参三 同志を売った密告の手紙」という連載 >が出たのが8月27日(9月3日号)。それであわてて、日共は赤旗記者をモ >スクワに行かせ、問題の手紙を見つけたという。文春はその問題の手紙を苦労 >してさがしだしたということですが、この文春のお蔭で、赤旗は素早く手にす >ることができた。なんせ「週刊文春」持っていって、ここに書いてあるの出せ >とトラブルになったといいいます。もちろんこれにはソ連の解体が一番の功労 >者なのだろうけれど。 まさしくこの通りになったようです。 戦後共産党史を振り返ると、徳田球一、志賀義雄、袴田里見といった戦 前からの最高幹部たちが次々と“反党分子”などの烙印を押されて消え去っ ていった。そして野坂までが同志を密告するという行為によって切り捨て られたいま、もはや党史に記される“英雄”の名は現共産党議長・宮本顕 治一人となった。『七十年』を読んで驚かされるのは、今年の十月一七日 で八十八歳になる宮本についてだけは、一九三一年五月に二十二歳で入党 して以来六十三年間、党活動で一度たりとも誤りを犯さなかったような記 述で一貫されていることだ。『七十年』では、戦前の宮本の活動に対し、 むしろ、これまで以上の高い評価が付け加えられている。宮本が、スパイ・ 挑発者に対する闘いや、検挙された党員の獄中・法廷闘争の方針を書いて いたことが、「戦前の非合法下における正しい党活動のありかた全体を定 式化したものであった」というのである。 これで宮顕ひとりにやにやというところですが、この「文藝春秋」では、 「しかし、今回われわれは、この宮本無謬神話を根本から揺るがす資料をロシ アにおいて入手した」というのです。そかもそれは、宮顕の小畑さん殺害(一 般には日共スパイ査問事件)に関わる重大な新事実です。 その資料とは、コミンテルンの秘密史料です。 この文書は、一九四一年四月十八日に、コミンテルン人事部長および上 級専門職員プリシェフスキーという人物からコミンテルン執行委員会のディ ミトロフ書記長に提出されたものである。四ページにわたってタイプ打ち された文書には「秘密」と記せられている。 さてこの文書の内容なのですが、これがきわめて驚くべきこと、そして「やっ ぱり」ということが書いてあります。 一九三三年日本共産党中央委員会は、そのメンバーのなかにオバタとオー イズミというスパイがいることを知った。存在した証拠は全く疑いの余地 無きものであった。中央委員会書記アキザサを長とする日本共産党指導部 はこれらスパイの処刑を決定した。オバタとオーイズミの処刑の実行はキ ジマ タカアキが行うことになった。 日本共産党中央委員、中央委員会財政部長オバタは処刑された。もう一 人のスパイ、日本共産党中央委員、組織部長オーイズミ ケンゾーは警察 の援助によって処刑をまぬがれた(彼は警察によって『予防』逮捕された)。 はっきりと、「処刑を決定」「処刑された」と記されております。宮顕はリ ンチはなかった、小畑さんの「内因性の急性心臓病」と釈明しているが、これ で殺人を目的としたリンチだったとはっきりといえるのではないでしょうか。 この文藝の掲載記事はさらに細かく宮顕のいう釈明にメスをあてています。い やはや、まったく宮顕と日共も大変なことになってしまいましたね。 さて、日共はこの記事にどう反論するのでしょうか。また「デッチあげ」と いうのかな。それとも黙殺してしまうでしょうか。しかしどちらにしろ苦しい ですね。実にこの文章を作成したプリシェフスキーという人物は、現在87歳 でモスクワに暮らしているとのことです。いくら日共が「デッチあげ」といっ たって、この関係をたぐっていけばもっとかなり深刻な資料が出てくる可能性 はあるのではと思われます。 プリシェフスキーは次のように証言しています。 私はこの当時の反スパイ闘争の経緯を子細に検討したが、小畑や大泉ら 警察当局から密かに送り込まれたスパイによって、党員が大量に逮捕され、 党活動は甚大な被害を被り、党は解体に瀕するほどの危機にあった。これ らの打撃はすべて小畑や大泉の破壊工作の結果であり、裏切り者としてこ れほどの重罪を重ねた以上、党指導部が死刑判決を与えたことは当然すぎ るほど当然といってよいと判断した。 こうした考えは、何も私一人の個人的見解ではなく、ディミトロフをふ くめて当時のコミンテルン首脳部の誰一人として日本共産党指導部に異議 を唱えたものはいなかったに違いない 宮顕と日本共産党はいったいいつまでこうした事実を隠していくでしょうか。 真に日本人民と革命のことを考えていた小畑さんを、リンチによって殺害して しまった犯罪を何時になったら、謝罪できるようになるのでしょうか。宮顕が いるかぎり無理なこととは思いますが、それでは結局日本共産党なんて、戦前 戦後を通じて嘘で塗り固めたただの犯罪者集団だと断言していいと思います。 全世界の共産党は変わりつつあります。まったく変わろうとしないのは、北朝 鮮の労働党と日本共産党だけです。 さて、もっと文藝にはろいろと頑張っていただきたい。こうした事実をさま ざまな資料証言により明らかにしていただきたいものです。私もこんな日本共 産党を粉砕するために頑張っていきたいと思っています。 (1994.06.23)宮顕と宮本百合子のことで(1992.09.26)
ある友人が映画「風の谷のナウシカ」のことで、ナウシカが「王家の王女」 ということで、それを宮本百合子に比して書かれたことで、また私が書いたも のが以下です。 >92-09-26 00:24:54 色々の続きです。ゴト >大移動(ダイカイショウという字がわかりません)を、風の谷の王女であるナ >ウシカが身を犠牲にして食い止める場面がクライマックスにあたっています。 > はっきり言って、ナウシカはそんじょそこらのガキではありません。私らの >子供では駄目なんです。王家の子女です。 本当にあの最後は嫌ですね。あれが、鼻クソほじっている平民の悪ガキが、 このときとばかり身を犠牲にしたって、オームはとまんないんだろうな。大東 亜戦争で、いくら私たち庶民の青年たちが「御国の為に」特攻隊になって、身 を捧げたって、神風は吹かなかったものな。ナウシカだと、オームはその自己 犠牲に感動して止まってくれるんだ。 映画の中で3人の老人が、「姫さまはわたしらの手をさすってくれる、姫さ まはこの手をいとおしいといってくれる」から好きだなんていうシーンがあり ます。でも自分の年おいたおばあさんが手をさすってくれたら、どうすんのか な。振り払うんじゃないのかな。仁徳天皇が「民の竈はにぎわいけり」とまで、 苦労したとかいうとき、あの老人たちなら涙流すんだろうな。 > その女性とは誰あろう、日本共産党のドンである宮本顕示の女房だった百合 >子さんです。あの人は貴族の出ですから、高貴です。しかも、共産党なんかに >入って、薄汚れた大衆なんかのために身を犠牲にしたんです。 > あ、だんだんと揶揄する調子になってきました。直接は関係ないからいい加 >減な事を言ってしまうんですが、百合子さんのような人に入って来られると、 >そこらの大衆には迷惑だと思うんです。きっと、すごい頓珍漢だったんじゃな >いかな。 私は笑いすぎて、「貧しき人々の群」取り出しました。岩波文庫で、星二つ で、私が中2のとき、鹿児島の古本屋で40円で、しかもさらにまけてもらっ た本です。表題のほか、「禰宜様宮田」「風に乗って来るコロポックル」とい うのがあります。しかも、なんとなんと、解説が蔵原惟人。その解説に 宮本百合子は1899年(明治32年)2月13日に、東京で生まれた。 本名中條ユリ。父は、米沢藩の家老で後に福島県下で開拓の事業にあたっ た人の子として生まれ、後に有名な建築家となった中條精一郎であり、母 はこれもまた、佐倉藩の重役で明治時代の有名な学者である西村茂樹の娘 であった。百合子はこのような家庭に長女として生まれ育ちながら、本郷 誠之小学校、お茶の水高等学校に学んだ。彼女は女学校に入学した11歳 の年にすでに小説を書きはじめ、女学校時代にすでに多くの詩、小説、戯 曲、評論を書いている。……。 とあります。これはナウシカかもしれませんね。 しかしですね。本当いうと、私はここらへんの百合子はまだ好きなのですよ。 駄目になるのが、「伸子」あたりからですね。これは、もう嫌になってしまう 小説ですよ。ニューヨークへ行って、自分の意思で結婚した伸子が、しだいに 自立にめざめ、離婚するというような内容だったと思います。私しゃ、読んだ ときに、そのあまりの下らなさに、本をなげ捨てたかったですよ。 しかし、なんといっても中條百合子が、決定的に良くなくなるのは、宮本顕 治と結婚したことです。いま宮本百合子の最大の研究家は宮本顕治ということ になっている。本当かよ。それじゃ、あんまり可哀想だよ。あんな「わるい亭 主」なんて、百合子の気持ちに届くものか。(いや私はけっこう百合子のこと 好きなんだな) 「すっかり、考え直したんだ。何の気なく、してくれるとおりしてもらっ ていたんだが、俺も甘えていたんだ。−わるい亭主の見本だと思われてい ると思わなかった」 冗談よりほかの意味はありようもなく言った言葉が、重吉をそんなに傷 つけたことが、ひろ子をおそれさせた。 「御免なさい。わたしふざけて言ったのに−」 「−しかし、ひろ子はしんではおそらくそう感じているところがあったん だ。……世間には良人のことは何でもよろこんでする細君もあるんだろう が。−自分のことを自分でするのは当り前なんだから、もうすっかり自分 でする−監獄じゃそうしてやって来たんだ」 「変よ、監獄じゃ、なんて!それは変よ!」 涙をあふらしながら、ひろ子は恐怖をもって感じた。 (宮本百合子「風知草」) これなんで言い合いしていると思います。宮本顕治が、ネクタイ結んだり、 カフスつけたり、ワイシャツ着たりすることが自分一人でできないからなので す。ひろ子(百合子)は顕治のひざにある、特高の拷問のあとをなでて納得し ます。拷問の痕を見て、それで彼が苦労したのを思って、ワイシャツを自分で 着ることもできない夫を、「しかたない」と考えてしまうのです。特高の拷問 と、そんなことも一人でできない夫のことは別な問題のはずです。こんな夫婦 なんてありますか。それで思考停止になる夫婦なんて。 貴方は御自分の姓名を愛し、誇りをもっていらっしゃるでしょう。業績 との結合で。女にそれがないとだけいえるでしょうか。妻以前のものの力 が十分の自立力をもち、確固としてこそはじめて、比類なく妻であり得る と信じます。良人にしても。私たちは、少なくともそういう一対として生 きているのではないでしょうか。同じ一人の良人、一人の妻という結合に しろ、私は新しいその質でエポックをつくる、一つの新しい充実した美を この世の歴史に加えようと暮らしております。 (宮本百合子「十二年の手紙の時代」) これは、中條百合子に宮本への改姓を獄中から要求してきた顕治に、百合子 が答えている手紙の一つの一節です。あのときに、こうしたことに執拗になっ ている宮顕に驚いてしまします。日共の運動はほぼ壊滅状態になり、日本全体 は戦争で呻吟している時期ですよ。百合子はこんな男と一緒にならなきゃ良かっ たのに。「伸子」の伸子がこれじゃ怒りますよ。 やっぱり私は、姫ナウシカより、ハナクソほじっている男の子のほうが好き だ。そんな子どもたちには、自己犠牲が大事なんて絶対に教えさせないぞと決 意しています。 (1992.09.26)
更新日:2004年10月25日